田中熊三郎
田中熊三郎(たなか くまさぶろう、本名・田中利八)は幕末の侠客、博徒。田中屋一家初代。
略歴
- 現在の群馬県藤岡市藤岡の人。
- 藤岡市に生まれ、いつ頃か定かでないが博徒となる。
- 三宅島流人帳控に安政二年四月一日、博奕之一件にて遠島・藤岡町無宿・禅宗・熊三郎・三十六歳とある。
- 安政三年に三宅島流人となった小金井小次郎と知合い、同じ流人・野州山田村の藤野新弥と小次郎の弟分になった。
- 小金井小次郎墓に上州藤岡村・田中利八、野州西山田村・藤野新弥と刻名ある。
- 双川証書に、維新の頃、多野郡藤岡町に棚熊事田中熊三郎と云う親分あり、豪家に生まれ、義侠に富み常に私財を投じて弱者を助け、田中屋一家と称し多数子分を有し、藤岡町を根拠として鬼石町大字浄法寺、美九里村保美、平井村、日野村、八幡村、小野村、神流村、新町、埼玉県児玉郡長幡村等を縄張りとして、一時勢力を振るいたるが、明治十四年頃、跡目を永井茂助に譲り、二十九年に没せりとある。
- 熊三郎墓の横にある熊三郎の伜の墓に明治廿一年十二月八日、田中利八伜利三郎行年四十歳と刻んである。
- 明治29年7月29日歿。行年77歳。墓所は群馬県藤岡市藤岡の良信寺。
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