江藤允政
江藤允政(えとう みつまさ -2012年7月8日)は日本のヤクザ。元・指定暴力団・五代目工藤會執行部組織委員長。二代目極政組組長。
略歴
- 1990年、極政組初代組長・溝下秀男が工藤會の三代目を襲名。
江藤充政が極政組二代目を継承。
- 2008年7月、四代目工藤會総裁・溝下秀男が急逝。
兼ねてより三代目工藤會内部において旧草野一家系と旧工藤会系が対立関係があり、溝下秀男の急逝以降、旧・草野一家系溝下派の有力者が次々と何者かの手により殺害されていく。
- 同年7月から篠崎組組長・篠崎一雄(射殺)、末松勝巳組長(射殺)、津川組相談役・安高毅(射殺)、徳竜組組長・徳本竜吾(射殺)と続いた。
- 同年8月、二代目極政組組長・江藤允政は、工藤會組織委員長・警護隊長を務めるなど、溝下秀男の側近中の側近だったが、もう少しで2年間の服役を終える収監中に突然と四代目工藤會を除籍処分になり引退させられる。
後継は二代目極政組若頭・今田雄二が三代目組長となった。
長期服役ならともかく、代替わりを服役中に行うのは異例中の異例であり、通常は当代が関係者に十分な根回しをしてから行われるのが通例である。
- 一連の事件中、三代目極政組組長・今田雄二を中心に主要幹部12名は、組を脱退しようとした組員を集団で暴行したとして、逮捕監禁致傷容疑で全員逮捕された。
つまり、極政組幹部が社会不在、当代が服役中に代替わりが行われた。
因みに、無理やり引退させられた江藤允政に対する四代目工藤會会長・野村悟、理事長・田上文雄の対応は「破門」であり、事実上四代目田中組が溝下派を制圧した瞬間でもある。
三代目工藤會会長・溝下秀男が亡くなり、草野一家出身で三代目工藤會会長代行を務めた天野義孝も亡くなるなど、草野一家出身の大物親分が鬼籍に入り無縁ではないだろう。
- 2012年7月8日午後3時40分ごろ、福岡県筑紫野市光が丘3のマンション玄関ロビーで、引退後の江藤充政が3発の銃弾を至近距離から腹部を銃撃され、搬送先の病院で約1時間後に死亡が確認された。享年65歳。
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