松山組
三代目松山組(まつやまぐみ)は大阪府東大阪市高井田本通3-1-19に本部を置いた暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体であった。
略歴
- 1958年、小田秀臣が小田組(後の小田秀組)を結成し、大阪の愚連隊明友会に参加した。
- 1960年8月9日、「明友会事件」が勃発した。その後、小田秀臣は三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となった。
- 1964年、小田秀臣は三代目山口組若中となった。
- 1984年6月5日、竹中正久は山口組直系組長会で山口組四代目組長就任の挨拶をした。小田秀臣を含む山本広を支持する組長は直系組長会に出席しなかった。
- 一和会に参画予定であった小田秀組が解散すると、小田秀組若頭・松山政雄がその地盤の一部を引き継ぎ松山組として四代目山口組若中となった。松山政雄は小田秀組に30年近く在籍した子飼いであった。他に小田秀組舎弟頭代行・山田輝雄、舎弟・盛政之助、本部長・森田昌夫が四代目山口組若中となった。
- 1995年6月、松山政雄が病死。松山組舎弟頭・亀井惟茂が二代目を継承した。
- 1999年3月、二代目松山組舎弟頭・貝本健(貝本会会長)が五代目山口組若中に昇格した。
- 2008年、亀井惟茂が引退。二代目松山組若頭・亀井利臣が三代目を継承した。
- 2012年9月、亀井利臣が六代目山口組から除籍、三代目松山組は解散した。
松山組系譜
初 代 - 松山政雄(松山政男)
二代目 - 亀井惟茂
三代目 - 亀井利臣
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