松山庄次郎
松山庄次郎は日本のヤクザ。三代目酒梅組組長。
略歴
- 1935年(昭和10年)の田中勇吉二代目死去後、諸派鼎立するなか戦後に松山庄次郎が三代目を継承。
- 治安維持のため警察の要請に応じてそのお目こぼしで賭場が開けるようになり、それにより活性化し、酒梅組の第一期の黄金期となる。
- 松山庄次郎は三代目山口組組長・田岡一雄と五分の兄弟分であり、「全日本プロレス協会」を設立し、自ら会長に就任。役員には田岡一雄も名前を連ねている。
- 昭和36年(1961)、松山庄次郎が死去。
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