常世川由之助
常世川由之助(つねよがわの よしのすけ、本名・西村由之助)は幕末の侠客。常世川一家初代。
略歴
- 大津の人。
- 常世川は嘉永3年(1850)9月、勘七町の宿屋・近江屋重助の長男に生れる。
- 若い頃清水次郎長の所に世話になり次郎長の養女チヨと同棲する。
- いろは幸太郎五分五厘、常世川四分五厘の兄弟分。
京都・いろは幸太郎の子分聖護院丑?こと[]大西丑松]]が、大津に愛人がいたので、時々大津に来ていた。常世川の子分・大津下駄寅が会津小鉄一家の進出と邪推して、聖護院丑?が女と就寝中を襲い殺したので、いろは幸太郎と千田川が、山中越えて堅田より船に乗り、大津の世田に着き夜明けを待って殴り込みを掛け、大津下駄寅は殺され大喧嘩になる処であったが、人を立てて和解し、いろは幸太郎五分五厘、常代川四分五厘の盃を交し兄弟分となる。
- 兄弟分には八日市の東屋林次郎、瀬田荒虎?、彦根の熊役、堅田の清水川らがいた。
- 清水川万吉碑に後見人西村由之助とある。
- 常世川墓は子分の吉井千代吉、高谷弥太郎が建之。常世川は毎年、元旦になると、「山本長五郎様」とかかせ、それを床の間に掛、かげ善をすえ、羽織袴にいぎを正し、「親分、新年おめでとうございます」と畳にひたいをすりつけて、生きている人にものをいうように年賀のあいさつを述べるのが常であった。
- 大正14年2月3日歿。行年75歳。墓所は滋賀県大津市湖城が丘の岡山墓地。
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