大東亜組
三代目大東亜組(だいとうあぐみ)は福岡県北九州市に本部を置いた暴力団で、四代目工藤會の二次団体。元・初代草野一家の二次団体。旧称大東亜会。
略歴
- 1981年(昭和56年)2月4日未明、北九州小倉の堺町にあるクラブ「美松」を出た前で草野一家若頭・大東亜会会長・佐古野繁樹と、工藤会理事長・矢坂組組長・矢坂顕が偶然鉢合せした。
口論の末、双方が拳銃を乱射、激しい銃撃戦となった。
佐古野繁樹は矢坂組組員に撃たれ倒れながらも、2メートル程度の至近距離から矢坂顕を銃撃。
二人とも全弾撃ち尽くし、その場で佐古野繁樹と矢坂顕の両名は出血多量で絶命した。
この「堺町事件」から、工藤会と草野一家の抗争は泥沼化し、当月だけで6件もの発砲事件が発生した。
- この後、草野一家と工藤会は双方の関連組事務所へ銃撃し、更には草野一家には三代目山口組系の石井組や伊豆組が、工藤会には反山口組である関西二十日会の縁につながる組長や福岡市の仲間が助っ人に駆けつけた。三代目山口組対反山口組の「九州代理戦争」となる緊迫した情勢となった。
- 1981年(昭和56年)2月25日、手打ちが行われて抗争は完全終結した。仲裁人は、両者を古くから知る稲川会総裁・稲川聖城であった。
- 名称を大東亜組に変更。
系譜
初 代 - 佐古野繁樹(初代草野一家若頭)
二代目 - 森山大吉?
三代目 - 佐古野善行?
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