一見直吉
一見直吉は明治の侠客、博徒。鼈甲家一家初代。
略歴
- 明治3年生まれ。
- 浅草を基盤にして博奕打ちとなる。
- もとは生井一家の貸元である青木粂次郎の若衆で、同じ青木門下の平井兼吉、小林卯八とともに浅草三羽烏といわれ、千束町一、二丁目と浅草公園を3人共有の縄張りとしていた。
- 明治30年頃、鼈甲家一家を興す。一家の名の由来は、もとは鼈甲細工師で、通称を鼈甲屋と呼ばれていたのを一家名にしたという。
- 1922年(大正11年)4月14日夜、大和民労会会長・河合徳三郎命令を受けた中村直彦らに刺殺された。52歳歿。
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