橋本弘文
橋本 弘文(はしもと ひろふみ、本名・姜弘文(カン・ホンムン)、1947年1月8日- )は元ヤクザ。元指定暴力団・六代目山口組舎弟、極心連合会元会長。
略歴
- 1963年頃、大阪の独立組織の南一家・吉田組に加入したが程なく解散。
橋本弘文自ら橋本組を結成。
- 1976年、初代山健組組長・山本健一から盃を受け、直参として加入。
- 1983年、極心連合会を結成。
直後に勃発した山一抗争では武闘派として抗争に参加。
- 1987年、二代目山健組若頭代行に就任。
- 1989年、桑田兼吉が三代目山健組の組長を襲名。
橋本弘文は三代目山健組若頭に就任。
- 1997年12月26日、東京都港区六本木の路上で、車で走行中の桑田兼吉一行が検問を受け、後続車両の配下組員の車から拳銃が出てきたことから、組員は銃刀法違反の現行犯逮捕されると共に、桑田兼吉も拳銃の共同所持容疑で現行犯逮捕された。
- 2003年5月、桑田の懲役7年の実刑が確定すると、山健組組長代行に就任。
- 2005年4月、五代目山口組直参に昇格。
- 2005年6月、若頭補佐に就任する。
- 2011年8月、島田紳助が暴力団関係者との交際を理由に芸能界を引退。
橋本と親密な関係であったことが報道で明らかになった。
- 2012年4月、六代目山口組統括委員長に就任。
- 2013年12月、米財務省が橋本を金融制裁の対象に指定。
- 2019年11月、六代目山口組若頭・髙山清司が出所すると引退を申し出、承認を受ける。同時に極心連合会も解散した。
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