川口和秀
川口和秀(かわぐち かずひで、本名・川口隆、1953年7月24日- )は日本の元ヤクザ。元・指定暴力団・二代目東組副組長、二代目清勇会会長。
略歴
- 1953年7月24日、大阪府堺市生まれ。
- 15歳で稼業入り。23歳で清勇会の二代目を継承。
- 1989年、組員が起こした事件がきっかけとなり、共謀共同正犯で逮捕され、22年間の服役。
- 川口和秀は、共に長期刑の花岡康雄らと共に、獄舎で同人パンフレット「獄同塾通信」の創刊を企画・発行し、話題となった。
- 2010年、満期刑期出所2ヶ月前に、東組が二代目体制になり、二代目東組副組長に就任する。
- 服役中、花岡康雄とは何百通もの手紙のやり取りを通じて友となったが、川口和秀は先に社会復帰し、花岡康雄の放免時に出迎えをした時が、2人の初顔合わせとなった。
- 出所後には、映画や書籍なども手掛けた。
- 2015年3月に放送されたドキュメンタリー番組「ヤクザと憲法」では、100日間に及ぶ密着取材を「謝礼金は支払わない。収録テープ等を事前に見せない。顔へのモザイクは原則かけない」という条件の元、40分テープ500本分の映像が撮影された。
- 2022年2月28日、三代目継承問題で、副組長で二代目清勇会会長・川口和秀が、二代目滝本組による東組支配に意義を唱えて対立し、内部分裂が生じた。
当初は、執行部で川口和秀並びに若頭・田村順一を舎弟への降格処分とすると決議されていた。川口和秀は初代東組本家体制、二代目清勇会は東組分家で有ることから、独立組織として存続する話であったが、清勇会初代会長・東勇の了承が得られず話が流れた事により、清勇会は独立組織として存続できず、二代目東組は、川口和秀を絶縁処分、二代目清勇会の家名を抹消とした。
また、若頭の三代目森田組組長・田村順一、若頭補佐兼組織委員長の司成会会長・土方基成、若中の二代目清勇会若頭・大野大介の3名を除籍とし、三代目森田組及び司成会も解散、傘下組織も解散と引退、一部は他の東組傘下組織へ移籍と言う形を取り、結果的に東組は二代目滝本組系が独占し、内部分裂問題は終結した。
- 同年3月20日付の「御通知」として、川口和秀の個人名で自身の渡世引退と「二代目清勇会」の解散を明記し、関係各所に通達した。
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