住吉一家
住吉一家七代目(すみよしいっか)は東京都に本拠を置く暴力団で、指定暴力団・九代目住吉会の二次団体。
略歴
- 明治初期、伊東松五郎が博徒・住吉一家初代を名乗ったのが起源となる。
- 堀内豊次郎が住吉一家の祖と言われ、その跡目が五十嵐徳次郎。
二人は後継に大口惣八を推したが辞退したことにより、新たに伊東松五郎を推挙した。
倉持直吉以前の系譜には諸説あり判然としない。
法務省資料では、初代・鈴木信太郎、二代目・五十嵐徳次郎、三代目・山口政吉とし、倉持直吉の子孫の桜井家に伝わる説では、初代・堀内一基、二代目・五十嵐徳次郎、三代目・伊東松五郎としているが、藤田五郎は堀内、五十嵐徳次郎は「明治時代の群雄割拠の住吉の一武将に過ぎなかったのでは?」とし、私観としながらも伊東松五郎か、その父である伊東与兵衛が住吉一家の祖ではないかと著作に記している。
- 二代目・倉持直吉は中里一家初代・堺定吉の若衆。
兄貴分の仇討ちを果たし、約12年もの凶状旅に出た。
- 1918年(大正7年)~1948年(昭和23年)の約30年間在任し、高木組代貸・阿部重作が三代目を継承した。
- 1958年(昭和33年)、関東の博徒など28団体を結集し「港会」を結成。
以来、「住吉会」、「住吉連合」、「住吉連合会」と改称し、再び現在の「住吉会」となる。
- 住吉会の中核となる。後に事実上の住吉会のトップが継承する名誉職的な扱いとなる。
- 西口茂男が住吉会会長及び住吉一家六代目を継承した後、直参制を導入。住吉会加盟の各一家と親子盃を交わし、加盟するほとんどの一家を住吉一家の貸元とし、住吉一家〇〇と改称する。
- 八代目住吉会会長・関功により、住吉一家に連なる各一家を住吉一家から独立させた。
住吉一家系譜
祖 - 堀内豊次郎
祖 - 五十嵐徳次郎
初 代 - 伊東松五郎
二代目 - 倉持直吉(中里一家直若・1918年(大正7年)~1948年)
三代目 - 阿部重作(芝浦高木組代貸・1948年~1962年)
四代目 - 磧上義光(旧住吉会会長)(1962年~1967年・上萬一家四代目貸元・磧上会初代会長)
五代目 - 堀 政夫(住吉連合会総裁、中里一家四代目総長)(1967年~1990年)
六代目 - 西口茂男(住吉会総裁、住吉一家・向後二代目)(1991年~2005年)
七代目 - 福田晴瞭(住吉会会長、住吉一家・小林会二代目会長)(2005年~)
住吉一家七代目組織図
総 長 - 福田晴瞭(住吉会最高顧問)
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