研谷連合会
研谷連合会(とぎやれんごうかい)は山形県酒田市東大町2-2-24に本部を置く的屋系暴力団で、指定暴力団・極東会の二次団体。研谷十七代目。
略歴
- 初代・武田信輔(永禄9年5月10日 - 天正18年3月6日)は武田信玄の嫡子武田太郎義信の次男とされる。
- 初代~六代目までは甲州から石巻に移住した。
- 七代目・武田忠行は徳川家の迫害を逃れ加賀国に居を構えた。
- 九代目・武田信行は加賀前田藩より若干の扶持をもらって隠密を命じられ、硎師を生業にして諸国を歩いて情報収集した。
- 十代目・硎谷甚助は先代より隠密を引き継いだため武田姓では好ましくなかったからと見られる。
もとより硎師であったから硎谷(硎屋)姓を名乗った。
- 十二代目・硎谷甚助の頃が全盛期であった。
- 十三代目・硎谷興三郎は海外に渡航して大正元年に帰国した。9年間日本を留守にしていたため組織は衰退した。
- 1939年(昭和14年)、関口愛治の舎弟・山田正信が十四代目を継承。 関口の全面的な支援を受け徐々に酒田で地盤を築く。
山田正信は戦後、柳小路マーケット組合理事長に就任し、1951年(昭和26年)から1963年(昭和38年)まで酒田市議会議員を三期務めた。
- 1961年(昭和36年)、極東愛桜連合会に加盟し極東研谷一家を名乗る。
また、山田正信は硎谷を研谷に改めた。
- 1965年(昭和40年)、極東関口一家・岩瀬健三郎の若衆・村上浩三朗が十五代目を継承した。
- 村上分家の阿曽次男が十六代目を継承した。
- 高橋和彦が十七代目を継承した。
初 代 - 武田信輔(武田甚右衛門信輔)
二代目 - 武田信秀(武田甚右衛門信秀)
三代目 - 武田信直(武田甚輔信直)
四代目 - 武田直行(武田彦右衛門直行)
五代目 - 武田春信(武田源左衛門春信)
六代目 - 武田直忠(武田左馬之助直忠)
七代目 - 武田忠行(武田彦八忠行)
八代目 - 武田春忠(武田源十郎春忠)
九代目 - 武田信行(武田彦平信行)
十代目 - 硎谷甚助
十一代目 - 硎谷興兵衛
十二代目 - 硎谷甚助(十代目と同姓同名)
十三代目 - 硎谷興三郎
十四代目 - 山田正信(関口愛治舎弟)
十五代目 - 村上浩三郎?
十六代目 - 阿曽次男
十七代目 - 高橋和彦
研谷連合会組織図
会 長 - 高橋和彦(極東会慶弔委員長・研谷十七代目)
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