田中明彦
田中明彦(たなか あきひこ 1953年-2017年)は日本のヤクザ。元指定暴力団・二代目東組舎弟頭、田中組組長。
略歴
- 三代目弘道会専務理事・三代目米川組組長・吉島宏、五代目山健組舎弟・二代目野地組組長・山下唯雄とは五分の兄弟分。
- 元山口組・桜井組で渡世入り、幹部まで昇格する。
- 川口和秀とは、2度出会いがあり1度目はゲーム機のトラブルから、二代目清勇会とトラブルになりそのトラブルの時の事を川口和秀のエッセイでこう記している
当時の田中明彦は、ガタイが大きく1歩も引かず押し強い男だった。と川口は話す一方
田中は、私は刺し違える覚悟で道具持って行ったんですが、声を荒げることもなく独特なオーラと裁き方で話し合いで解決した。と記している。
- 2度目の出会いは京都刑務所で服役中であった互いに最年少の受刑者で意気投合し、元二代目東組副組長・川口和秀、二代目清勇会会長と出会い、元山口組若中・中野組組長・中野雅巳立会のもと両組織で話し合いがもたれ、円満解決の結果、二代目清勇会の直参となった。
- 当時、五代目酒梅組との新大阪戦争で逮捕され服役中の時に、キャッツアイ事件が発生し、出所後は理事長補佐として会長代行・呉本幸造と二人三脚で組を存続させる。
- その後、二代目清勇会若頭、初代東組本家付に就任。同時に大阪市住吉区で田中組を結成。
川口和秀の出所まで、田中組組員と共に事務所存続に尽力した。
- 川口和秀の出所後、二代目東組若頭補佐を経て、すぐに舎弟頭へ就任。
- 2017年、田中明彦が死去。各団体の幹部が弔問に訪れた。
- 田中明彦の遺言通り跡目継承は行わず、構成員は元二代目清勇会へ移籍、一部は引退し田中組本部事務所は解体された。
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