片桐俊
片桐 俊(かたぎり しゅん、1967年- )は、指定暴力団・住吉会・四代目中村会幹部。東京都荒川区出身。
人物
浅草発砲事件にて五代目山口組系幹部2名を射殺。無期懲役の判決を受け2023年現在も服役中。
当時の時代背景と要因
- 1990年(平成2年)2月、二率会との八王子抗争に完全勝利した五代目山口組は、稲川会との間で結ばれた「多摩川を超えない」という不文律協定を無視し、都内で資金獲得を目指し進出していた。
その中で倉本組から分裂した貴広会は東京へ進出して暴れ、一時は五代目山口組の有力組織である宅見組、三代目山健組、後藤組と並ぶほどの勢力を保ち、貴広会の中では、末吉隆秀?率いる大末総業?や川口京孝?率いる川口総業?などが東京都内の有力組織であったとされる。
縄張りを重んじる関東のヤクザ組織は、関東圏内で暴れる山口組系組織を嫌っており、さらには、東京都内で五代目山口組系組織同士が縄張り内で騒動を起こし、
縄張りを死守する組織ともトラブルを起こすようになっていた。
大量動員での威圧行為
- 2004年(平成16年)10月24日未明、浅草ビューホテル近くの住吉会・中村会事務所に、突然、五代目山口組・貴広会組員50人が押しかけて来た。
居合わせた幹部の片桐(当時37歳)が、「よくもまあこんな大勢で来てこの状態では話しも出来やしない、場所を移そう」と、貴広会側の責任者に伝え移動させた。
- 浅草ビューホテル一階の喫茶店に場所を変え、片桐と幹部の加藤勉?(当時39歳)が改めて話し合いに入った。いつもの様子と違い店内の重々しい雰囲気から、危険を察知した店員が浅草署に通報した。この時からすでに喫茶店内は、貴広会組員が待機しており一般客にも威圧行為をしていた。
店側から通報を受けた浅草署は、私服警官を喫茶店に緊急配置させ厳戒態勢に入り、膠着状態が長く続いたため署員に促され一度両組織の話し合いの場を解散させた。
- この事件に関し、管轄署員が目撃した内容を報道機関関係者に説明した話しでは、貴広会側の組員は、どうも関東出身者が関西の「山口組」をアピールするつもりだったのか、
話し方が映画の影響を受けたかのような、聞きなれない関西弁や広島弁、九州弁が混ざり合った口調で大声で話す姿に違和感を感じたという。
浅草発砲事件
- 店内から解散させた十数分後、喫茶店前で外部の者であろう人物と携帯電話でやりとりしていた片桐ら2名は、再び店内に戻り話し合いを始めたところ、喫茶店内に待機していた数十人の貴広会組員に一気に囲まれ、威圧行為からエスカレートし怒号や罵声を浴びせられ始めた。
全く話しにもならないと判断した片桐は無言のまま、テーブル向かいに座る貴広会責任者と威圧言動を先導する者に拳銃を発砲した。これにより貴広会若頭補佐・関東責任者・中川総業?組長・中川謙一?が頭部銃創により即死。川口総業?若頭・末吉民男?が意識不明の重体となり、後に死亡した。川口総業?組長の川口京孝?ら2人は重軽傷を負った。
- この事件により、銃刀法違反・殺人容疑で現行犯逮捕され、取り調べにも素直に応じ全ての責任を認めた。故人の家族関係者へ示談中に検察側から求刑を出されたが、一度上告し、後に高裁から無期懲役の判決を受け服役となった。
抗争の終結
- 大勢で押しかけ威圧行為をし、その結果2名を射殺された故人に対する示談金は支払われたが、五代目山口組・貴広会側には慰謝料は払われなかったという。この事件により貴広会側の騒動も終息に向かったが、貴広会執行部はこれを重く受け止め、勝ち負けよりも大勢で押しかけ逆に2名の死者を出し、行為に参加した者を強く問い詰め、処分した。
- 起訴後、身柄を東京拘置所に移された際、当時関東二十日会加盟組織の代紋頭らの多くが面会に訪れたとされる。
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