太田守正
太田守正(おおた もりまさ、1937年10月24日- )は日本の元ヤクザ。元・指定暴力団・神戸山口組元舎弟頭補佐、太田興業組長。元・六代目山口組若中。
略歴
山口組
- 1964年、三代目山口組・山健組傘下健竜会会長だった渡辺芳則の薦めで健竜会に加入。
- 1982年、渡辺芳則が二代目山健組を継承し、太田守正は二代目山健組若頭補佐に就任。
- 1989年05月、渡辺芳則が山口組五代目を継承。
桑田兼吉が山健組三代目を継承し、太田守正は舎弟頭補佐、相談役、舎弟頭を歴任した。
- 2005年4月、太田守正は五代目山口組若中に昇格。同時に太田興業を太田会に改称。
- 同年8月、六代目山口組体制で、引き続き六代目山口組若中となる。
- 2008年9月、太田興業に名称を戻す。
- 同年10月、六代目山口組舎弟・後藤忠政(後藤組組長)の処分問題で太田守正は後藤を擁護し、雑貨や日用品のなどの購入を強制する弘道会方式や執行部を批判。若頭・髙山清司に直接「我々は雑貨屋の親父ではない」と言い放ったといわれる。
- 後藤忠政の処分や弘道会方式に不満を持っていた、井奥会会長・井奥文夫や二代目一心会会長・川﨑昌彦など複数の組長と共に、執行部批判の会合に出席し謀反と見做され、太田守正は六代目山口組から除籍された。
執行部批判の会合に出ていた他10数名の組長は絶縁・破門・除籍・謹慎などの処分が出ている。
- 太田守正は引退。太田興業は解散した。
神戸山口組
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