生井弥兵衛
生井弥兵衛(なまいの やへえ、別名・升屋弥兵衛、本名・幸野弥兵衛)は幕末の侠客、博徒。生井一家初代。
略歴
- 寛政7年(1795年)生まれ、下野国都賀郡生井村(栃木県小山市生井)の人。
- 幼い頃から博奕と喧嘩が好きで、全身が刀傷だらけだったことから「傷の弥兵衛」とも呼ばれた。
- 間ノ川一家・間ノ川政五郎の子分であったが独立して生井一家を興す。女房は越後蒲原郡大野村ノ藤太郎の後家おきす。
- 天保6年6月、小山ノ鬼万?を殺して旅に出る。
- 弘化2年、越後の費場所を代貸に譲って、故郷の生井村に帰る。大久保一家の貸元であったとも言われる。兄弟分に香具屋佐兵衛、間ノ川又五郎。
- 慶応4年(1868年)8月17日病歿。行年73。墓所は栃木県小山市下生井の桜源寺。
墓は辺見貞蔵が古河の徳星寺に建立したが昭和53年、子孫の菩提寺小山市下生井の桜源寺墓地に移す。
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