倉持直吉
倉持直吉(本名・松崎秀、別名・荏田村秀、倉持天心、1877年・明治10年5月5日 - 1954年・昭和29年4月7日)は日本のヤクザ、博徒。住吉一家二代目総長。初代中里一家若衆。
略歴
- 1877年(明治10年)、時代は西郷隆盛が西南戦争を開始した時代に、茨城県水海道で博奕打ちの家系に生まれた。父親は水海道一帯の親分松崎の二代目・松崎勘助。
若い頃に兄貴分の仇討ちで人を斬り12年近くの凶状旅をつづけた。
- 倉持は母方の姓。荏田村は妻の姓。
大口惣八の一人娘である荏田村とらと結婚し松崎の姓を捨てて荏田村秀となった、荏田村とらとの間に生まれた娘「なつ」は大関の常陸岩英太郎に嫁いだ。
- 中里一家初代・堺定吉の子分となる。
- 1918年(大正7年)、病没直前の伊東松五郎初代から住吉一家を継承し、二代目総長となる。跡目披露は日本橋矢ノ倉町(現在の中央区東日本橋)にあった料亭「福井楼」で行われた。
- 約30年間当代を守り続けた。
- 1954年(昭和29年)4月7日、死去。享年78歳。
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