鈴木一彦
鈴木 一彦(すずき かずひこ、1940年7月31日-2022年3月6日)は日本のヤクザ。元・指定暴力団・六代目山口組舎弟、旭導会会長。
略歴
- 少年時代から愚連隊として旭川で暴れまわり、17歳で北海道寄居連合に所属して渡世入りした。
- 北海道寄居連合の中核組織で、道内で1000人の勢力を有した寄居関保連合に兄貴分がいたことが縁で、20歳で寄居関保連合総長・赤石秀雄から盃を受けた。
- 関東に流れ、関東ヤクザの流儀、手法を学んだ時期もある。
- 1972年、寄居関保連合総長・赤石秀雄が関三代目を継承した際、鈴木一彦は「赤石分家」として親分・一家名乗りを許された。
- 1980年頃、関三代目の跡目代行に就任。
- 1989年9月、関三代目・赤石秀雄が五代目山口組組長・渡辺芳則の盃を受け、山口組に参画。
- 1991年9月、関保会の定例会の席で発砲事件がおき、赤石秀雄は責任を問われ山口組から除籍処分となり、関保会は事実上解散した。
- 1991年10月、鈴木一彦は関保会の地盤を引き継ぎ、「旭導会」を結成。
- 1992年2月、五代目山口組の直参に昇格。
- 2005年7月、六代目山口組発足と同時に若頭補佐に就任。
北海道からは初の山口組最高幹部となり、以降、執行部の一員として、長らく関東ブロック長を務めた。
- 2011年10月、六代目山口組の舎弟に直って以降も「北の重鎮」として組織を見守り続けた。
- 2022年3月6日、肺がんのため死去。
- 同月7日、北海道旭川市で通夜が営まれ、翌8日の告別式には六代目山口組組長・司忍をはじめ、全国の直系組長らが参列した。
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