江戸屋虎五郎
江戸屋虎五郎(えどやの とらごろう、江戸屋寅五郎とも、別名・小林虎五郎、本名・岡安虎五郎、七五郎とも、1814年1月5日-1895年10月22日)は幕末の侠客、博徒、香具師。江戸屋一家二代目とされる。
略歴
- 群馬県館林市の人。文化11年(1814年)1月5日、武蔵国新座郡岡村(現在の埼玉県朝霞市)生まれ。三河国生まれとも。
- 若い頃に入間郡藤久保の力士上がりの獅子ヶ嶽重五郎こと仲野重五郎の子分となる。
この頃、隣村の天竺音五郎を殺そうと計るが失敗。また、親分・重五郎の義弟万吉(女房おたきの実弟)を誤って殺すなどの失態を犯す。その都度桐生半兵衛が頭を下げ、虎五郎の危機を救ってやった。
遠州・三河・甲州と旅をして館林に逃げて来て、香具屋弥七こと栗原弥七のところに厄介になっていた。三河で相撲の相手を投げ殺し、館林荒宿(下町)の香具屋弥七に匿われるとも。
- 虎五郎の男らしさに惚れたのが、香具屋弥七の兄弟分で館林連雀町の江戸屋兵右衛門こと岡安兵右衛門で、虎五郎を娘チカの婿養子にした。虎五郎は江戸屋の跡目を継ぐ。
- 虎五郎一家の縄張りは邑楽郡全域と栃木県足利近辺、埼玉県に及び、全盛期には二町六十六ヶ村がその区域であったとされる。
- 大前田英五郎の舎弟分(四天王とも筆頭子分とも)で、兄弟分には三島の大場久八(久八の舎弟とも)、佐野の京屋元蔵、舎弟分には三州の八尾ヶ嶽宗七(保下田久六)らがいた。
- 大前田英五郎墓に大世話人タテハヤシ・寅五郎、間ノ川又五郎碑に周旋・岡安虎五郎、足利市野田にある不名の碑に上州館林町・寅五郎と刻銘あり。
- 大前田一家に伝わる英五郎の位牌の中にあるヘギ板に小林虎五郎、明治28年10月20歿とあるので虎五郎の旧姓は小林虎五郎だと思われる。
- 明治28年10月28日歿。行年83歳。墓所は群馬県館林市本町の大道寺。
墓の台石には、間ノ川一家、京屋一家、大前田一家、香具屋一家、上州小金井一家、太田一家、広瀬一家の貸元と虎五郎の子分、計六十七名の刻銘がある。
- 跡目は柴田三吉が継ぐ。
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