武蔵屋周太郎
武蔵屋周太郎(むさしや しゅうたろう、本名・川島庄三郎、別名・小幡周太郎、小俣周太郎)は幕末の侠客、博徒。伊勢川島一家初代。
略歴
- 三重県度会郡小俣の人。
- 文政6年(1823年)9月20日、川島庄三郎の長男に生まれる。
武州の生まれともいわれる。故郷は榎戸村といい、東京都国分寺市の榎戸新田もしくは埼玉県吹上村の榎戸村。
- 度会郡小俣の親分となる。
- 清水次郎長と交流があった(親戚筋)。
- 穴太徳次郎と兄弟分。
- 穴太徳次郎が荒神山観音寺で賭場を開催した際に出席を拒絶した。
- 荒神山の喧嘩の手打式に参加している。
- 明治25年4月9日没。行年70歳。墓所は三重県伊勢市大世古の共同墓地。
墓前面に川島庄三郎墓、左側面に通名武蔵屋周太郎行年七十歳、右側面に明治二十五年四月九日とある。
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