小車誠会本家
三代目小車誠会本家(おぐるままことかいほんけ)は大阪府大阪市西成区太子1-8-3川口総業に本部を置いた的屋系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の元二次団体。2011年に解散。
略歴
- 大阪盛代系の斉藤長蔵が大阪府に小車組(おぐるまぐみ)を結成した。
- 斉藤長蔵の引退に伴い、大阪府で的屋今西組系誠会(まことかい)を率いていた川口義昌が小車の二代目を継承し、同時に二代目小車誠会(おぐるままことかい)と改称した。
- 川口は三代目山口組・菅谷組組長、菅谷政雄の舎弟となり、山口組に加入した。
- 1977年、菅谷政雄が三代目山口組から絶縁される。
- 1981年、菅谷組が解散し、二代目小車誠会は独立組織となった。
- 1991年5月、川口は五代目山口組組長・渡辺芳則の舎弟となり、二代目小車誠会は再び山口組の二次団体となった。これにより、在阪的屋有力組織、早野会(大阪盛代系統であった独立団体で小西一家に加入後山口組若中)、今西組(酒梅組に加入)、小車誠会の3団体はすべて他団体系列となった。関西は関東ほど博徒と的屋の区別が明確でなく、幕末から引き継ぐ庭場を死守するという意識が薄かった事も影響している。
- 1995年9月、川口義昌が病死し、実子である川口和慶が三代目を継承、名称を三代目小車誠会本家と改称した。
- 1999年3月、三代目小車誠会本家は五代目山口組の二次団体に昇格。
- 2011年9月、川口和慶が六代目山口組から除籍され、三代目小車誠会本家は解散した。
- 2015年10月、三代目小車誠会本家特別相談役であった安岡俊蔵が、二代目誠会を結成し神戸山口組舎弟に就任した。しかし、六代目山口組からは組織の存在を認められておらず、安岡が勝手に誠会の名称を使用しているのが実態であった為、小車誠会・小車誠会本家との系譜的関連性は薄い。
系譜
小車組
初 代 - 斉藤長蔵
二代目 - 川口義昌
小車誠会本家
初 代 - 斉藤長蔵
二代目 - 川口義昌(五代目山口組若中)
三代目 - 川口和慶
三代目小車誠会組織図
会 長 - 川口和慶(六代目山口組若中)
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