工藤會
五代目工藤會(工藤会 くどうかい)は福岡県北九州市小倉北区宇佐町1-8-8に本部を置く特定危険指定暴力団。親睦団体四社会に加盟。
主な施設
総裁本家 - 福岡県北九州市小倉北区熊谷4-19-15
会長本家 - 福岡県北九州市戸畑区菅原1-2-23
略歴
工藤組
- 前身は戦前の小倉に結成された工藤玄治を組長とする博徒組織工藤組(くどうぐみ)。
- 工藤玄治は1910年生まれ、福岡県行橋市の出身。16歳頃から西日本各地の賭博場に出入りする博徒であった。恩義があった小倉の親分が引退すると、自身で工藤組を名乗って渡世を開始した。
- 子分は後に二代目となる草野高明ただ1人で、工藤玄治の姐と合わせて3人だけで四畳半一間からスタートしたとされ、終戦後の1946年頃に正式に工藤組を旗揚げした。
- 工藤組は小倉競輪場の警備を任されることとなった。当時は公営ギャンブルが再開して盛り上がって来た頃で、利用客が増えてトラブルも頻発していたため、ヤクザに警備を担わせることもあった。小倉競輪場の警備を担ったことで、草野若頭の配下に若い衆が増え、工藤組勢力を増大する。
- 1950年代には工藤玄治は草野若頭を引き連れ、後に稲川会総裁となる稲川聖城が神奈川県で開いた大規模な賭場に顔を出すなど、他組織との交流も深める。
三代目山口組との抗争
- 1950年、若松市の梶原組?組員が、工藤組・草野組組長・草野高明の弟を刺殺。
梶原組と草野組は和解することなく対立を続けた。
- 1963年、三代目山口組若頭・地道行雄が北九州市内の安藤組と長畠組?、そして梶原国弘が率いた梶原組?を傘下に収める。
- 同年9月10日、三代目山口組若頭補佐・菅谷政雄組長が、北九州市小倉区に芦原興行社を設立し、北九州に侵攻開始した。
- その後、梶原国弘(後に射殺された元漁協組合長の縁戚)は地道行雄を通して、
北九州市での力道山のプロレス興行の実施を三代目山口組組長・田岡一雄に依頼、田岡一雄は即座に了承した。
- これを知った草野高明が、梶原国弘への対抗から、市内での北原謙二の公演開催を決定。
これを直接のきっかけとして、1963年、工藤組組員らが山口組系組員らを河原で撲殺したいわゆる紫川事件が発生。死因は水死であった。
- 1979年頃から工藤会と草野一家の間で衝突が起こるようになった。草野一家の組員は200人以上在籍し、工藤組よりも勢力では完全に上回っていた。
これを直接のきっかけとして、1963年、工藤組組員らが山口組系組員らを河原で撲殺したいわゆる紫川事件が発生。
工藤組と草野一家による親子抗争
- 草野高明は紫川事件の判決が出る前の1966年、拘置所で工藤組脱退と草野組解散を表明。これは工藤組に警察の取り締まりが及ばないように配慮したものだったが、帰りを待っていた工藤玄治は、話を聞かされていなかったため裏切り行為だと思い、草野若頭を破門した。
- 1970年、工藤組は工藤会(くどうかい)に改称した。
- 草野元若頭は長期服役を経て、1977年05月に出所。出所の際は無断で脱退していたため工藤組からの出迎えはなく、対立していたはずの三代目山口組が出迎え、田岡一雄組長が放免祝いを申し出た。
山口組への加入を持ちかけられたが断ったという。加入はしなかったが、山口組との距離は縮まり、親山口組となった。
- 1978年10月頃、草野元若頭は小倉北区で草野一家(くさのいっか)を立ち上げ、独立組織として再出発した。立ち上げの際には工藤組長と会談していて、工藤組長は工藤組の縄張りに進出しないことと、シノギは賭博のみ行うことを条件として、草野一家の発足を許可したという。
- そこから抗争状態に突入した工藤会と草野一家は、双方の幹部に死者を出しながら福岡県下全域で激しい銃撃戦を展開した。
- 1980年、田中組組長・田中新太郎が、草野一家・極政会によって殺害され、抗争は激化の一途を辿った。
- 堺町事件が起こった。
和解と再統合
- 両団体は激しい抗争を続けたものの、1981年、稲川会会長・稲川聖城の仲裁により和解した。
- 1987年6月、工藤会と草野一家が再統合し名称を工藤連合草野一家(くどうれんごうくさのいっか)と改めた。
工藤玄治が総裁に、草野高明が総長に就任した。
工藤會
- 1990年12月、溝下秀男が工藤連合草野一家の二代目総長を継承した。工藤玄治は名誉総裁に、草野高明は総裁に就いた。
- 1991年4月、草野高明が死去。
- 1992年、暴力団対策法に基づく指定暴力団に指定された。
- 1996年、工藤玄治が死去。
- 1999年1月、二代目工藤連合草野一家から三代目工藤會に改称。初代を工藤玄治、二代目を草野高明と改めた。
- 2000年、溝下秀男は三代目田中組組長・野村悟に、「これだけにした組織や。誰が見込みのない奴に譲れるかいな。俺が見込んだ男やないか」と四代目を野村悟に禅譲。
野村悟は「歳が同じですし、永遠に親分について行くつもりだったから、困ったな」と言いつつもこれを承諾し、四代目工藤會会長を継承。
- 2003年8月、暴力団追放の旗振り役だった男性が経営するクラブに工藤會組員が手りゅう弾を投げ込み、12人が重軽傷を負う事件が起きた。
- 2008年7月、溝下秀男が死去。
- 2008年7月、溝下秀男の側近組長が相次いで銃撃を受け殺害され、篠崎一雄?組長射殺事件・末松勝巳?組長射殺事件・江藤允正?元組長射殺事件が起きた。
実行犯は工藤會・四代目田中組が、いわゆる溝下派への粛清と今後への威嚇と警察は判断している。
- 2011年2月、清水建設の社員が工藤會系組員に拳銃で撃たれて負傷した。
- 2011年7月、工藤會の五代目を四代目田中組組長・田上文雄が継承し、野村悟は五代目工藤會の総裁に就任。
- 2011年11月26日(土)午後9時頃、建設会社「博新建設」会長、内納敏博さん=当時(72歳)が射殺された。後に工藤會系組長の瓜田太(当時53歳)ら12人を逮捕した。
- 2014年9月11日、総裁である野村悟が、北九州元漁協組合長射殺事件に関わっていた殺人容疑などで福岡県警に逮捕された。
- 2014年9月13日、会長・田上文雄が殺人容疑で逮捕された。
- 2015年8月13日、北九州市小倉北区でスナックなどが入居する2つのビルが連続で放火された事件で、放火は工藤會による組織的な犯行だった疑いが強まったとして、理事長・菊地敬吾ら五代目田中組系組員11人が逮捕された。
市民襲撃4事件判決
- 2021年8月24日、野村悟、田上文雄の両名が関わった市民襲撃4事件(下記参照)、
①1998年、北九州市の港湾関連工事などに強い影響力を持っていたとされる元漁協組合長の男性射殺。
②2012年、工藤會の捜査を担当していた元福岡県警警部の男性銃撃。
③2012年、野村悟被告が受けた陰茎増大や脱毛の美容整形外科手術に不満を持ち担当した女性看護師刺傷。
④2014年、元漁協組合長の孫の歯科医師男性刺傷。
以下、殺人や組織的殺人未遂の罪に問われた被告人判決公判で、福岡地裁は野村悟に死刑、田上文雄に無期懲役を言い渡した。
- 携帯電話の通信傍受から最高幹部や組員の会話内容と、気が遠くなる程の莫大な量の防犯カメラの映像解析などで実行犯と主犯格を逮捕に繋がった。
- 司法による指定暴力団トップへの死刑判決は国内史上初めてとなる。また、市民襲撃4事件を機会に脱退した元組員が、
元暴力団としてのリスクを背負いながらも、正業に励んでいる元組員を、警察や行政機関が確認している。福岡県警察本部は工藤會を脱退した組員に対し、社会復帰も手伝っており、いくら組織を離脱したといえ、元暴力団の社会復帰には様々なハードルがある。銀行口座の開設さえ、離脱から5年経過しなければ難しい。しかし県警が協力して、5年経過前に口座を開設することができた工藤會の元幹部もいる。
節 目
- 2021年8月26日、警察庁の松本光弘長官は定例会見で、「判決は一つの節目だと思うが、警察としては工藤會の壊滅にむけ諸対策を更に推進していく」と述べた。
また、現在抗争を続ける六代目山口組と神戸山口組の取り締まり対策を強化することも続けて述べている。
- 改めて工藤會の歴史を振り返ると、他組織間での抗争は三代目山口組系のみ、後は身内同士の抗争、工藤會内部での派閥による粛清、一般市民への攻撃の歴史しかない。
系譜
初 代 - 工藤玄治(工藤組初代組長・工藤会初代会長)
二代目 - 草野高明(草野組初代組長・草野一家初代総長)
三代目 - 溝下秀男(極政会初代会長)
四代目 - 野村 悟(三代目田中組組長)
五代目 - 田上文雄(四代目田中組組長)
五代目工藤會組織図
総 裁 - 野村 悟 2021年8月24日:福岡地裁で死刑判決(殺人罪・組織犯罪処罰法違反)
会 長 - 田上文雄 2021年8月24日:福岡地裁で無期懲役判決(殺人罪・組織犯罪処罰法違反)
理事長 - 菊池啓吾(五代目田中組組長)2015年8月13日:拘置中・組織犯罪処罰法違反・放火容疑(組織的殺人未遂)
舎弟頭 - 長谷川泰三(長谷川組組長)
総本部長 - 石田正雄(石田組組長)
幹事長 - 緒方哲徳(緒方組組長)
組織委員長兼渉外委員長 - 篭縞武志(篭縞組組長)
懲罰委員長 - 木原 浩(木原組組長)
総務委員長 - 山中政吉(山中組組長)2021年2月16日:最高裁第3小法廷で懲役2年6月判決(所得税法違反罪)
事務局長 - 田中十四春(田中(十)組組長)
理事長補佐 - 瓜田 太(瓜田組組長)2017年2月19日:(組織犯罪処罰法違反・殺人罪)拘置中
理事長補佐 - 内蔵成喜八(四代目極政組組長)
最高顧問・顧問
最高顧問 - 林 武男
顧 問 - 添島弘之(添島組組長)
常任相談役
中島直人(中島組組長)
玉井金芳(玉井組組長)
緒方紀年(緒方組組長)
奥平政義(三代目土谷組組長)
松本光将(松本組組長)
林 政美(林組組長)
山本和義(二代目矢坂組組長)
今田雄二
会長舎弟
本田三秀(本田組組長)2020年9月17日:福岡地裁で懲役6年判決(傷害罪)
木村 博(二代目津川組組長) 2017年7月10日:福岡高裁で無期懲役判決(殺人罪)
総裁秘書
木村政勝(木政組組長)
総裁付
白石 孝(白石組組長)
大原康昭(大原組組長 )
久保 恵(久保組組長 )
丸本竜治?(丸本組組長)
船田茂樹(二代目木下組組長)
直若
山本峰貢(山本組組長)
山下義徳(山下組組長)
林 孝章(五代目林組組長)
反田信政(反田組組長)
吉原聖吉(吉原組組長)
井塚則夫(井塚組組長)
池田一男?(池田組組長)
高野基司(高野組組長)2007年3月9日:福岡地裁小倉支部で懲役20年判決 (非現住建造物等放火未遂罪)
中村数年(中村組組長)2006年5月12日:福岡地裁小倉支部で無期懲役判決(殺人罪)
森 隆志(二代目村上組組長)
三明和夫(三明組組長)
大原 弘(四代目田口組組長)
武本友裕(武本組組長)
新屋 実(新屋組組長)
川谷隆雄(川谷組組長)
福山幸一(福山組組長)
古本健二(古本組組長)
大場雅己(大場組組長)
小川幸司(小川組組長)
下川直也(下川組組長)
影浦壱治(影浦組組長)
馬場資房(馬場組組長)
玉田圭司(玉田組組長)
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【このページの編集依頼】
- 「元漁協組合長」ですが、後を引き継いが実弟さんがフライデーの取材で「兄の死後、私が組合長を継ぐと、」という話し方をされているので、当時は組合長ということになるので、「当時組合長だった」が正しいかと思います。(現在から見ればお二方共"元"ではありますが。。) -- 工藤會
- ↑すみません、多分間違えました。お手数ですが削除願いします。 -- 工藤會