山崎屋一家
山崎屋一家(やまざきやいっか)は静岡県熱海市に本拠を置いた博徒系暴力団。
略歴
- 熱海を縄張りとした博徒一家で、祖・山崎屋貴右衛門は大場一家・大場久八の子分であった。
- 四代目・石井秀太郎が引退に際し、跡目候補を綱島一家五代目・鶴岡政次郎に相談。鶴岡は堀井一家から綱島一家に移っていた稲川角二(のちの稲川聖城)を推薦。当初石井は難色を示していたが、結局は稲川が五代目を継承した。
- 稲川は山崎屋一家を継承後、稲川会を結成。
- 稲川組が稲川会へ改組し東京へ進出すると、子飼いの長谷川春治が跡目を継承。
- 1974年9月、長谷川の跡目を横須賀一家にいた稲川の実子・稲川裕紘が継承。
- 1980年、裕紘は横浜の山田屋一家の縄張りをも引き継ぐ事となり、山崎屋一家と山田屋一家を糾合し稲川一家を名乗った。
系譜
祖 - 山崎屋貴右衛門
初 代 - 山崎屋忠吉こと山田忠吉
二代目 - 真鶴伝次郎
三代目 - 石井喜太郎
四代目 - 石井秀太郎
五代目 - 稲川聖城(初代稲川会会長)
六代目 - 長谷川春治(のち九代目碑文谷一家総長)
七代目 - 稲川裕紘(のち三代目稲川会会長)
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正にご協力ください。
※誹謗中傷や悪戯、荒らし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧ください。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼してください。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼してください。
【このページの編集依頼】