寺津間之助
寺津間之助(てらづの まのすけ、別名・藤村間之助 本名・藤村甚助または藤村甚平)は幕末の侠客、博徒、目明し。寺津一家二代目。
略歴
- 文化8年(1811年)に六角山甚平の次男に生まれる。寺津一家初代・寺津治助の実弟。
- 父の名を襲名し藤村甚平とも。
- 清水次郎長の弟分(または兄弟分、四分六の兄貴分とも)。
- 兄弟分に伊勢神戸一家初代・神戸長吉。
- 父親の跡を継いで沼津藩大浜陣屋から十手取り縄を預かり、言わば博徒との二足草鞋を履いていた。
玉屋源六、西尾治助、雲風亀吉と並び三州四天王(三州の長脇差の四天王)と称された。
- 寺津治助病死のため跡目を継ぐ。
- 寺津港に百石船を三隻保有。海運業で繁盛する。
- 真宗門徒が蜂起した大浜騒動では西尾藩、岡崎藩とともに鎮圧にあたる。
- 慶応の頃、子分・吉良仁吉に跡目を譲り引退。吉良仁吉は独立し吉良一家を興す。寺津一家は二代で博徒稼業を廃業した。
- 明治10年10月14日没。行年66歳。墓所は愛知県西尾市寺津町の養国寺。
- 孫の牛五郎は清水一家の食客となっている。
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