大日本正義団
大日本正義団(だいにっぽんせいぎだん)は大阪府に本拠を置いた暴力団。
略歴
- 小林一家二代目・酒井栄蔵が大日本正義団を名乗る。
- 1971年1月16日、大日本正義団は、二代目松田組系村田組の右翼団体として結成され、団長に村田組・中馬大典が就任した。
- 吉田芳弘が会長に就任してから純然たる暴力団となり、賭博、覚醒剤をシノギとした。
- 1975年7月26日、二代目松田組と三代目山口組との間で「大阪戦争」が勃発。
- 同年10月3日、大阪日本橋筋商店街で会長・吉田芳弘が、待たせていた車のドアを開けようとしたところ、山口組系佐々木組組員2人が近づき拳銃を3発発砲、3発全て胸に着弾し吉田芳弘は約15分後に死亡した。
- 実弟・吉田芳幸が二代目会長に就任。
- 1978年7月11日、大日本正義団組員鳴海清?が三代目山口組 組長田岡一雄を狙撃。
- 1982年11月、石川明が三代目会長に就任。
- 「大阪戦争」終結後、松田組は「松田連合」に改称し組織再建を画策したが、傘下組織が相次いで離脱し勢力は激減。
- 1983年5月25日、「松田連合」は解散した。
- 大日本正義団は、波谷組の傘下として存続。
- 1990年6月28日、山口組と波谷組の抗争「山波抗争」の勃発により、事実上波谷組は解体。
- 同年12月11日、三代目・石川明は、波谷組から脱退し、大日本正義団を解散させた。
系譜
旧大日本正義団
団 長 - 酒井栄蔵
団長
中馬大典
会長
初 代 - 吉田芳弘
二代目 - 吉田芳幸
三代目 - 石川 明
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