柳川次郎
柳川次郎(別名・柳川魏志 本名・梁元錫(ヤン・ウォンソク) 1923年-1991年12月12日)は日本の元ヤクザ。元・三代目山口組若中、柳川組組長。1969年8月1日、絶縁処分。
略歴
- 諏訪組に居たが脱退し大阪で一派を形成。
- 1958年、柳川次郎が柳川組を結成。
- 1959年、柳川次郎が三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となり、山口組傘下となる。
- 山口組きっての武闘派として知られ“殺しの軍団”と呼ばれた。
- 柳川組の全盛期には傘下73団体・組員1700名(準構成員含むと約2800名)を抱え、1道2府10県に進出。山口組の全国への勢力拡大に貢献した。
- 三代目山口組時代に二次団体でありながら広域暴力団に指定された唯一の組織。
- 1969年4月1日、大阪府警により名古屋刑務所から大阪の田辺警察署に移送。ここで第一次頂上作戦の対象とされ、厳しい追及により田辺署は柳川次郎の口から柳川組の解散を引き出した。
- 同年4月8日、三代目山口組・二代目柳川組組長・谷川康太郎を大阪刑務所で説得し三代目山口組組長・田岡一雄に無断で解散を宣言。
(なお「解散声明書」及び柳川次郎が署名した「解散同意書」は1969年4月9日付となっている)
- 同年8月1日、田岡一雄は、柳川次郎と谷川康太郎を本家に無断で組を解散したと云う理由で絶縁処分とした。
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