井志繁雅
井志繁雅(いし しげまさ 1916-没年不詳)は日本のヤクザ。元一和会特別相談役、井志組組長。元三代目山口組若中。
略歴
- 1916年(大正5年)10月10日生。
- 元々は二代目山口組若衆・坂出敬信の子分で、田岡一雄と共に山口登の家で行儀見習いをしていた。
- 田岡から親子盃を受けた時期については諸説ある。
田岡が三代目を継承した昭和21年(1946年)とする記述の他に、昭和22年に細田利光の仲介で盃を受けたとする記述がある。
- 全国侵攻作戦の一翼を担い、昭和35年(1960年)10月に横浜へ進出。昭和37年2月には舎弟頭の末次正宏を横浜地区責任者とした。その他にも富山市や新潟へ配下の組員を送っている。
- 昭和59年(1984年)、山口組を離脱して一和会に参画。特別相談役に就任。
- 昭和63年(1988年)7月12日、同じ一和会系大川健組?が一和会組織委員長・松尾三郎を銃撃。この事件を契機として同月15日に松尾ら他の直系組長10人と共に一和会を脱退。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】