鹿島峰太郎
鹿島峰太郎(かしま みねたろう、鹿島峯太郎、1821年 - 1902年7月5日)は幕末の侠客、香具師。寄居宗家初代。
略歴
- 文政4年(1821年)生まれ。文久4年生まれとの資料があるが、没年から誤記と思われる。
- 若い頃は秩父に住んだ。
- 戊辰戦争に参加した。
- 身長5尺7寸、体重26貫、風貌は荒々しく、眼が優しいと評されている。
- 武蔵国寄居村を出てバイをしながら上野国に腰を据えて寄居を興した。
- 寄居方面から秩父にかけて撃剣の興行を打ち続けたという説があり、幕臣崩れの剣術家を集めては、野試合の興行を行って業にしていた。
- 明治35年(1902年)7月5日、81歳で死去。墓所は埼玉県寄居町の正樹院。
- 子供は内田林五郎で、昭和27年7月31日没。68歳。
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