瀬戸一家
十代目瀬戸一家(せといっか)は愛知県瀬戸市孫田町26に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の二次団体。
略歴
- 幕末の頃、尾張国東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)に水野吉五郎(加藤吉五郎とも)と呼ばれる者が博徒の親分となる。一説には東濃地方の梅屋一家の子分であったとされるが確かではない。
この頃は一家の名はなく水野吉五郎の子分に北熊実左衛門こと近藤実左衛門、瀬戸愛吉こと井上愛吉)、今村伊三らがいた。
- 明治初年頃、水野吉五郎は跡目を北熊実左衛門へ譲り、1884年(明治17年)に没する。北熊実左衛門は明治維新の際、尾張侯の越後隊へ加わり会津戦争へいったため、費場所を今村伊三へ預けた。瀬戸愛吉は自分より格下の今村伊三へ費場所を預けられたことに不満を持っていた。
北熊実左衛門が戦争より帰ると親分の吉五郎一家を名乗らず自身の住居である愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)をとり北熊一家を名乗った。これに対し瀬戸愛吉は北熊実左衛門を絶縁し、自身の住居である東春日井郡瀬戸村(現在の瀬戸市の一部)より瀬戸一家を名乗った。これより瀬戸一家と北熊一家は勢力争いをしていくこととなった。
- 瀬戸愛吉には実子の愛金こと瀬戸金之助、子分の河本良助(通称:ドン尻屋良吉)らがいた。
- 1884年(明治17年)、瀬戸愛吉が2年の懲役刑を受け獄死した。
- 瀬戸愛吉の実子である瀬戸金之助は東濃太田の大親分である梅屋一家・梅屋嘉六の子分となってその跡目を継承するが瀬戸町に住み、東濃地方をも費場所として領した。本来であれば瀬戸愛吉の跡目は子分である河本良助が継承するべきであるが、瀬戸金之助が二代目を継承した。
- この頃広大な費場所を有し勢力も増したため東海道第一と称された。
子分に四天王小森守一(大井派を起こす)、佐金次こと佐藤金次郎(岐阜県笠原)、安藤義一、建中寺政五郎こと平野政五郎がおり、実弟の志貫之助こと浅井梅太郎、二宮こと浅井竹次郎、舎弟の片桐新太郎、水野丑次郎らは四天王と合わせて天下(又は八天下)と称された(瀬戸一家と覇を競った信濃屋一家も同様に八天下と呼ばれる配下がいた)。また舎弟の妻木常八こと小林常八(品野派を起こす)、松波甚六(高山に松波派を起こす)、子分の松原繁十(後の三代目)、関東熊こと吉沢熊吉(多治見派を起こす)らも傑出していた。
- 1907年(明治40年)頃、瀬戸金之助が死亡した。
- 瀬戸金之助の死後、実力は四天王に劣っていたものの、金回りがよく親分孝行をした松原繁十が瀬戸金之助の遺言により三代目を継承した。小森守一、吉沢熊吉、小林常八、松波甚六がそれぞれ大井派、多治見派、品野派、松波派を興した。松原繁十の子分は桜井林蔵、鈴太郎こと加藤幸助が傑出していた。
- 1906年(明治39年)4月23日、松原繁十が病没。
- 松原繁十病没後、子分の桜井林蔵が四代目を継承した。桜井林蔵の子分は中島勇五郎(本名:中島勇治郎)を初め要吉こと梅村二三、黒鉄または鉄五郎こと山本鉄次郎、田辺桑治郎らが傑出していた。
- 1919年(大正8年)頃、中島勇五郎が五代目を継承。中島勇五郎は、1890年(明治23年)に北熊一家との抗争で殺害された中島森太郎(二代目・瀬戸金之助の子分)の実子であり、大工職人を目指していたが桜井林蔵の子分となった。跡目継承後自らを大正の国定忠治と称し一家を発展させた。
- 川島五郎(本名:羽田俊)が六代目を継承した。
- 田中治六が七代目を継承した。
- 小林金次(本名:小林一夫)が八代目を継承した。
- 1961年、日本国粋会と中津川抗争を起こす。
- 瀬戸一家は侠神会(瀬戸市)、東濃会(岐阜県)、三州会(三河地区)、真誠会(名古屋市)の4ブロック制をとった。
- 1983年6月、中京戦争と呼ばれる瀬戸一家・侠神会と運命共同会・愛豊同志会・中京浅野会との抗争が起こり、同年7月に愛豊同志会総裁・河澄政照が射殺された。
1984年7月に抗争は終結し、小林金次は八代目総裁を引退。
- 1985年4月20日、小林金次は抗争終結に不満を持っていた旧愛豊同志会の組員によりに射殺された。
- 1986年6月、八代目・小林金次の一周忌が過ぎ、渡辺啓一郎が九代目を継承した。
- 中京戦争後、運命共同会、導友会、稲葉地一家、平野家一家とともに反山口組組織の親睦団体である中京五社会を結成した。
- 1991年、運命共同会・鉄心会の一部の組員が上部団体の運命共同会に対して、五代目山口組・弘道会への移籍を求め、運命共同会は移籍を求めた鉄心会組員約60名を破門にした。
同年1月26日、名古屋抗争が勃発。
同年2月に抗争は終結したが、その後運命共同会は実質的に崩壊し、中京五社会も瓦解した。
- 同年3月、渡辺啓一郎が五代目山口組組長・渡辺芳則から盃を受け、若中として加入した。
- 2008年、渡辺啓一郎が引退し、清田健二が十代目を継承した。
- 2022年2月23日、清田健二は六代目山口組幹部を辞し、筆頭若中になる。
系譜
祖 - 水野吉五郎こと加藤吉五郎
初 代 - 瀬戸愛吉こと井上松吉
二代目 - 瀬戸金之助こと井上清澄
三代目 - 松原繁十
四代目 - 桜井林蔵こと桜井多市
五代目 - 中島勇五郎こと中島勇治郎
六代目 - 川島五郎こと羽田俊
七代目 - 田中治六
八代目 - 小林金次こと小林一夫
九代目 - 渡辺啓一郎(六代目山口組若中)
十代目 - 清田健二
十代目瀬戸一家組織図
総 裁 - 清田健二(六代目山口組若中)
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