幡随院長兵衛
幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、本名・塚本伊太郎(つかもと いだろう)、1622年 - 1650年5月13日または1657年8月27日)は江戸前期の侠客、町奴、口入れ屋。
略歴
- 下谷の人。
- 江戸浅草で口入れ屋を営む。
- 配下に唐犬権兵衛、放駒四郎兵衛、夢市郎兵衛らがいた。
- 町奴の頭領として旗本奴と対立する。
- 対立していた旗本奴の頭領・水野十郎左衛門(水野成之)にこれまでの遺恨を水に流し仲良くなりたいと呼び出される。水野の罠であることがわかっており、子分らは行くのを止めたが、「怖がって逃げたとあっては名折れになる。人は一代、名は末代。」との言葉を残し屋敷に向かい誅殺された。
- 侠客の元祖といわれ、「極付幡随長兵衛」など歌舞伎や講談の題材となった。
検索用
幡随院長兵衛、幡随院長兵衞、幡隋院長兵衛、幡隋院長兵衞、幡隨院長兵衞、幡隨院長兵衞
▴ 詳細を表示
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】