合田一家
七代目合田一家(ごうだいっか)は山口県下関市竹崎町3-13-6に本部を置き、山口県下関市長府南之町5-9に本家を置く指定暴力団。前身は籠寅組。旧称は合田組。
来歴
- 源流は、明治、大正、昭和と、九州の吉田磯吉とともに稀代の親分と言われた保良浅之助の籠寅組の系譜を引く。
- 1948年、戦後派の新興博徒組織として合田幸一が合田一家を結成。
「名誉ある籠寅の名跡をそのまま引き継ぐのは、あまりにも恐れ多い」として、あえて籠寅の家名を踏襲せず、渡世の跡目だけを継承する形で合田一家を興し、代紋も合田一家の代紋に変更した。
- 初代・合田幸一の提唱によって結成された西日本独立団体の親睦会「関西二十日会」(解散)は〈反山口組連合〉とみられていたこともあり、合田一家と山口組との間では、ほとんど交流がなかった。
- 六代目総長・温井完治の継承式に際し、当時、五代目山口組舎弟頭補佐で中国・四国ブロックのブロック長を務めていた大石誉夫・大石組?組長が「後見人」を務め、友好関係を構築。
- 2005年、山口組が六代目体制を発足、六代目山口組若頭・高山清司が温井完治六代目総長を後見するようになった。
以後、合田一家は山口組の親戚団体として、友好の絆を深めてきた。
- 2009年8月26日、六代目総長・温井完治が引退を発表。
一家一門の総意により、末廣誠が総長に指名された。
同年9月5日、先だって合田一家盃直しの儀。
同年10月20日、末廣誠が合田一家七代目を継承。
継承式には、後見人に六代目山口組若頭・高山清司が列席、取持人の五代目共政会会長・守屋輯の名代として会長代行・石井謙二も儀式を見守る中、極東会会長補佐・山本達三の媒酌によって執り行なわれた。
系譜
籠寅組
初 代 - 保良浅之助
二代目 - 保良寅之助
合田一家
初 代 - 合田幸一
二代目 - 浜部一郎(浜部組組長)
三代目 - 浜崎 彰(浜崎組組長)
四代目 - 川崎友治(川崎組組長)
五代目 - 山中大康(三代目小桜組組長)
六代目 - 温井完治(温井組組長)
七代目 - 末廣 誠(四代目小桜組組長)
七代目合田一家組織図
総長
末廣 誠
執行部
若 頭 - 新井鐘吉(五代目小桜組組長)
本部長 - 片山洋二郎?(三代目一松組組長)
幹事長 - 皿田正信(二代目岡村組組長)
組織委員長 - 砂田信一郎(砂田組組長)
渉外委員長 - 那須三四志(三四志組組長)
風紀委員長 - 金ヶ江二郎(五代目小桜組若頭・二代目新井組組長)
慶弔委員長 - 阪本 絋 (二代目中川組若頭・阪本組組長)
事務局長 - 金子正守(金子組組長)
舎弟
早田芳雄(二代目中川組組長)
大藤相介(二代目阿部組組長)
成田清郎(成田組組長)
下川吉春(下川組組長)
幹部
中野 実(五代目小桜組舎弟・本家総長付)
江口竜也(三代目一松組本部長・総長付)
山川辰士(二代目岡村組本部長・総長付)
松本雄太朗(砂田組若頭・総長付)
西 充(三四志組若頭・総長付)
池本尚幸(二代目岡村組若頭補佐)
柳川与和(二代目椎木組若頭・総長付)
直参
竹本敬也(二代目椎木組組長)
日下正安(日下組組長)
上田忠義(上田組組長)
石津一彦(六代目甲斐組組長)
吉田光晴(二代目岡村組舎弟頭)
橋村泰志(三代目一松組若頭)
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