下田大岩
下田大岩(しもだの おおいわ、通称・赤鬼、赤鬼金平、本郷金平、別名・由五郎、本名・加藤金平)は幕末の侠客、博徒。本郷一家?。
略称
- 伊豆国賀茂郡下田または伊豆国賀茂郡本郷村の人。
- 文化12年生まれ。または文政3年、伊豆国下田本郷村の百姓藤右衛門の次男に生まれた。本名由五郎(由蔵とも)と言う。
- 9歳の時に那賀郡江奈村の百姓甚右衛門の家に養子に入ったが、20歳の時に家を飛び出し、実家に戻って来た。
当時既に父は亡くなっていたが、一家を継いだ兄藤右衛門(幼名・竹次郎)が出来人で由蔵を匿った。
- その後、菩提寺である海善寺の住職に助けられ、僧籍を名乗ったりしたこともあったが、生来の元気さは押さえられることもなく、大場久八に見込まれて、遂には東海道筋有数の遊侠の徒となった。
- 髪結いから無宿渡世、大場久八の盃を貰って子分となり(大場久八の一の子分とされる)、下田から縄張りを広げ、久八を凌ぐ武闘派博徒になった。
- 森石松を殺したことで清水次郎長に追われていた都田吉兵衛に頼まれ味方し、万延元年(1860)9月19日夜、金平・吉兵衛連合で、沼津から駿河湾を渡り清水次郎長の本拠を襲った。
- 兄弟分には長楽寺清兵衛。
- 明治2年5月25日歿。行年49歳。墓所は静岡県下田市の海善寺。
墓側面に孤屋清與信士、台石前面に村島と刻んであり、現在村島家の墓となっている。
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