関東二十日会

関東二十日会(かんとうはつかかい)は関東地方に本部を置く博徒系暴力団の親睦連絡組織。前身は関東会。

略歴

関東会

同年12月下旬、関東会は、関東会加盟7団体の名で「自民党は即時派閥抗争を中止せよ」と題する警告文を自民党衆参両議院200名に出した。
自民党衆議院議員・池田正之輔は、この警告文を激しく非難し、警告文は自民党の治安対策特別委員会で議題に取り上げられた。
これは、暴力団が連帯して政治に介入してきた、初めての事件だった。
河野一郎派を除く衆議院議員と参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫と親しい河野一郎を擁護するものだ」と判断し、検察と警察当局に関東会壊滅を指示した。

関東二十日会

その後、國粹会から稲川会に、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ食事会が開催された。

住吉連合会総裁・堀政夫から、稲川会に幹部同士の食事会の提案がなされ、住吉連合会幹部と稲川会幹部の食事会が開催された。

同年10月20日、向島の料亭「桜茶屋」で、稲川会國粹会東亜会交和会義人党住吉会松葉会二率会双愛会が参加し、博徒系暴力団の親睦団体・「関東二十日会」が結成された。
結成日が20日だったことから会の名称は「関東二十日会」とされた。

関東二十日会は、毎月の当番組織を決め、毎月20日午後6時から、当番月の組織が決めた場所で会合を持つようになった。
抗争事件が起ると、当番月の組織が、抗争の仲裁に当たることになった。

同年2月14日午後1時30分、東京都新宿区の京王プラザホテル42階の「藤の間」で、関東二十日会30人と、神農会(飯島連合会姉ヶ崎連合会極東関口会、極東三浦連合会など関東の100数十団体の的屋の親睦会)33人との「合同食事会」が行われた。
稲川会からは、稲川聖城、本部長・長谷川春治、副理事長・森田祥生、常任理事長・森泉人、田中敬の5人が出席。
会食に先立ち、堀政夫が挨拶を行い、乾杯の音頭は、田中敬がとった。

以後、毎年2月に、関東二十日会と関東神農同志会との「合同食事会」が開かれるようになった。

歴代理事長

関東会
初 代 - 藤田卯一郎松葉会初代会長 1963年12月21日〜1964年6月20日)
二代目 - 磧上義光住吉会初代会長、住吉一家五代目総長 1964年6月20日〜1965年1月)




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