観音丹次
観音丹次(かんのんの たんじ、観音丹治とも)は幕末の侠客。
略歴
- 上野国の人。
- 丹左衛門という夫婦が水沢寺付近で安産祈願に来た際に捨て子を拾う。この捨て子は会津藩士番場覚右衛門と女中さととの間の子で、水沢寺に捨て子したとされる。丹左衛門夫婦は拾った場所から観音丹次と名付けた。
- 安永3年、11歳の時に母親が死去。
- 女中のりんとその男金助が丹左衛門家を奪おうと丹左衛門を殺す。その後は伯父に育てられる。
- 13歳の時、父の仇を討ちたいと伯父の家を出て江戸に行く途中、高崎の新浪清六(荒波清六とも)という博徒の親分と出会い引き取られ、8年間剣術を教えられた。
- 若親分と呼ばれるようになった。
- 高崎本町の豪商白銀屋藤七の一家がヤクザ者に皆殺しにされ、義侠心からこの事件に飛び込んだ観音丹次に、逆に疑いがかかり捕らえられ処刑されそうになるが、新波清六に助けられる。
- 江戸に行き仇を探すが見つからず、奥州筋を探して会津で仇を見つけ討つ。
- その後は水沢に戻り親分として余生を送った。