荒神山の喧嘩
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荒神山の喧嘩
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1 (2021-02-05 (金) 01:17:02)
2 (2021-02-05 (金) 01:54:00)
3 (2021-08-07 (土) 17:33:03)
4 (2021-08-08 (日) 01:36:27)
5 (2021-08-15 (日) 01:25:52)
6 (2022-01-21 (金) 00:13:00)
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9 (2022-05-23 (月) 17:20:43)
10 (2023-01-17 (火) 23:13:04)
11 (2023-02-04 (土) 07:41:06)
12 (2023-02-04 (土) 13:46:32)
13 (2023-02-04 (土) 15:42:40)
14 (2023-02-11 (土) 00:04:19)
15 (2023-02-11 (土) 06:13:07)
16 (2023-02-11 (土) 09:48:24)
17 (2023-02-13 (月) 02:05:45)
18 (2023-02-24 (金) 16:14:37)
19 (2023-02-28 (火) 10:54:35)
20 (2023-02-28 (火) 10:54:35)
21 (2023-07-31 (月) 15:21:19)
22 (2024-04-28 (日) 22:26:00)
荒神山の喧嘩
荒神山の喧嘩
(こうじんやまのけんか)は1866年4月8日に伊勢国荒神山(現・鈴鹿市高塚町の観音寺)で起きた博徒同士の私闘。講談の神田伯山、浪曲の広沢虎造の次郎長伝で有名。荒神山の決闘とも。
概要
ともに伊勢国の博徒である
神戸長吉
と
穴太徳次郎
の間に縄張り争いが起き、
神戸長吉
と助っ人22名に対して
穴太徳次郎
の一家とその助っ人(黒駒党含む)130余名が荒神山で激突した。
神戸長吉
側の助っ人であった
吉良仁吉
の死の報に兄弟分の
清水次郎長
は東海道の博徒480余名を動員。伊勢の神社湾(かみやしろわん)に2隻の船を乗りつけて
穴太徳次郎
と後盾である伊勢古市の
丹波屋伝兵衛
に決戦を挑むが両者とも謝罪したため和議をする。
清水一家
と
穴太徳次郎
の正式な和解は明治の2年頃行われたとされる。
加わった主な博徒
神戸長吉側
神戸長吉
久居才次郎
-
神戸長吉
の子分、
角井門之助
を殺害
糸屋市五郎 -
神戸長吉
の子分
四日市敬次郎 -
神戸長吉
の子分
神戸宇吉 -
神戸長吉
の子分
吉良仁吉
-
吉良一家
、死亡
松阪米太郎
-
吉良一家
船木幸太郎 -
吉良一家
、死亡
伏見桃太郎 -
吉良一家
小山田丹蔵 -
吉良一家
清水大政
-
次郎長一家
関東綱五郎
-
次郎長一家
樋屋鬼吉
-
次郎長一家
法印大五郎
-
次郎長一家
、死亡説あり
増川仙右衛門
-
次郎長一家
穴太徳次郎側
穴太徳次郎
角井門之助
-
穴太徳次郎
子分
黒駒勝蔵
- 黒駒一家
平井亀吉
-
平井一家