義人党(ぎじんとう)は東京都に本部をおいた右翼系暴力団。旧称は新日本義人党、日本義人党。後継は武蔵屋一家。
浅草・小千鳥組の二代目・岩本梅吉の若衆であった高橋義人が武蔵屋一家の五代目・石井竹松に見込まれて1944年に武蔵屋一家六代目を継承した。
終戦後の1945年、高橋義人は弟の高橋正義(後に武蔵屋一家七代目)、高橋信義(後に武蔵屋一家八代目)らと共に政治団体新日本義人党を結成し初代党首となった。
1950年(昭和25年)、新日本義人党は団体等規正令の適用を受けて解散した。
その後、安保闘争で騒然としていた1960年(昭和35年)または1952年に日本義人党として再建された。
日本義人党は1964年から開始された第一次頂上作戦における指定10団体に含まれ、取り締まりを受けたが解散はしなかった。
義人党に改称した。
1991年、義人党下部団体が暴力団排除の取り組みを行った世田谷区北沢のパチンコ店に対し街宣車二百数十台により圧力をかけ、発泡や火炎瓶投げつけなどの事件を起こした。その結果、警察当局の厳しい取り締まりを受けた。
1992年1月、義人党は解散。解散後の勢力は武蔵屋一家として住吉会に加入した。