砂子川伊三郎
砂子川伊三郎(すなこがわ いさぶろう、通称:砂子川、本名:西村伊三郎(にしむら いさぶろう)、1871年 - 1920年)は明治から大正時代の侠客、博徒、元力士。砂子川組初代。
略歴
- 明治4年生まれ。京都の伏見を縄張りとした。
会津小鉄会初代・上坂仙吉の子分で、いろは会初代・長谷川伊三郎の子分であった。
- 元力士であり砂子川は使用していた四股名であった。
- 軍夫長として日露戦争に参加。その功で陸軍の山形胸章を一家の代紋とすることを許される。
- 大正8年、内相床次竹二郎の勧めで、東西の博徒に呼びかけて大日本国粋会の結成に力を尽くした。
- 大正9年1月15日、死去。50歳。
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