小沼富平
小沼富平(おぬまの とみへい、本名・高尾留平)は明治の侠客、博徒。清水一家貸元。
略歴
- 山梨県南都留郡小沼の人。
- 清水次郎長の子分・増川仙右衛門こと宮下仙右衛門の子分で小沼の貸元であったが、晩年は清水の方に引っ越したようであった。
なぜ、沼津市石川の宗派の違う日蓮正宗・本広寺に高尾留平の墓が有るのか全く不明である。 墓前面に高翁是心禅定門、右側面に明治三十四年十一月一日、甲斐国南都留郡小沼村・高尾留平、左側面に一週年忌・清水一家建之とある。
- 清水市梅蔭寺にある、清水次郎長の墓の石囲いに次郎長の孫分約70名の刻名があり、その中に甲州小沼徳三郎とあり、清水次郎長の香典帳には甲州小沼・高尾徳三郎とあるので、小沼徳三郎と高尾徳三郎は同人であり、留平の長男。
- 明治34年11月1日歿。墓所は静岡県沼津市石川の本広寺。
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