大津下駄寅
大津下駄寅(おおつの げたとら)は明治の侠客、博徒。常世川一家。
略歴
- 滋賀県大津市世田の人。
- 大津の常代川こと西村由之助の子分。
- 京都・いろは幸太郎の子分聖護院丑?こと大西丑松が、大津に愛人がいたので時々大津に来ていた。下駄寅は会津一家の進出と邪推して、聖護院丑が女と就寝中を襲い殺した。いろは幸太郎と千田川が、山中越えて堅田より船に乗り、大津の世田に着き夜明けを待って殴り込みを掛け、下駄寅は殺される。大喧嘩になるところであったが、人を立てて和解しいろは幸太郎五分五厘、常代川四分五厘の兄弟分となる。
- 明治18年5月頃歿。
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