荏原哲夫
荏原哲夫 (えばら てつお 通称・雁木のバラ 1924年-1956年2月18日)は日本のヤクザ。会津家一家小高実子分。
略歴
- 大正13年(1924年)、北海道札幌市雁来町に生まれた。
- 昭和15年(1940年)、国民徴用令で室蘭市の日本製鋼所の徴用工になった。
- 昭和20年(1945年)、長岡宗一と知り合い舎弟にした。
- 昭和21年(1946年)、正野二郎と札幌市に戻った。正野二郎や松田武嗣らとともに愚連隊を組織した。
- 昭和24年5月の抗争における殺人で札幌刑務所に5年服役。
- 昭和26年(1951年)春、札幌苗穂刑務所で、松田武嗣と再会した。
- 昭和31年2月16日午後3時40分過ぎ、札幌のジャンジャン横丁のところに差し掛かった荏原と舎弟・飯田忠義?は、突然飛び出してきた源清田の流れをくむ一家の者たち7、8人に取り囲まれ口論となり拳銃で撃たれた。荏原はブローニング銃の引き金を引き強行突破を企てたが、右足を傷つけた者に銃撃され保全病院に担ぎ込まれた。緊急手術を受け、一時小康を保ったが18日夜になって容態が悪化し午後8時45分死亡。31歳であった。
- 会津家一家小高初代・小高龍湖の子分で、殺されなければ三代目を継ぐと言われていた。
- 三代目山口組・柳川組初代北海道支部長・長岡宗一の舎弟。
- 会津家一家小高?三代目・寺田富彦と、二代目誠友会会長・田村武志は荏原哲夫の舎弟。
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- ごめんなさい、私の書き方が悪かったですね。長岡氏は荏原氏の舎弟です。 --