山道抗争
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* 山道抗争 [#k8af8513] ''山道抗争''(やまみちこうそう)は1986年7月29日から1987年3月3日にかけて九州各地でおきた四代目[[山口組]]系[[伊豆組]]及び[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]と、[[道仁会]]との抗争事件。 ** 抗争の発端 [#e306a304] -熊本県人吉市にあった「藤本組」幹部・中神大海(のちに[[山口組]]系[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]・中神会会長)の実弟・中神強が、日ごろから仲が悪かった藤本組若頭・楮木亨(のち[[道仁会]]系[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]・楮木組組長)を酒の席でなじった。 *** 中神強刺殺事件 [#r3d3e692] -1966年、楮木亨は酒席でなじられた報復として中神強を刺殺。 -藤本組組長は、自分の若衆同志が揉め事を起こしたことに責任を感じて引退。 -楮木亨は長期服役した。 *** 中神大海の山口組系稲葉一家加入 [#rd09b6a0] -中神大海は、藤本組解散後に三代目[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]組長・[[稲葉実]]の舎弟となり、熊本県人吉市に中神組(のちに中神会)を結成。 *** 楮木亨の道仁会加入 [#xa8e5d5c] -1986年、楮木亨は出所後、[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]組長・古賀徹の舎弟となり、熊本県八代市に楮木組を結成。 ** 中神大海襲撃事件 [#o7d09eab] *** 原因 [#n676e67c] -楮木亨は旧藤本組の縄張りであり、自らの故郷でもある人吉市にクラブを開店。 これに対し人吉市を縄張りとしていた中神大海が激怒した。 さらに、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]中神会組長・吉川茂男が、[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]楮木組に移籍したことも恥をかかされたと思っていた。 中神大海はかつて実弟・中海強が刺殺された事もあり、楮木亨と吉川茂男を殺すと吹聴していた。 *** 事件 [#xa38f6d7] -1986年7月29日、中神大海に殺される前にこちらから殺そうと、吉川茂男ら2人が中神大海を銃撃。中神大海は一命はとりとめたが重傷を負った。 逮捕された吉川茂男らは単独犯行と供述し、楮木亨の指示はないと主張した。 -[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]総長・[[古賀徹]]と、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]代貸・[[島村國光]]とが兄弟分であったこともあり、中神大海襲撃事件は手打ちとなった。 ** 手打ち破りから抗争へ [#r9a6ef36] *** 楮木亨刺殺事件 [#r117b0ce] -中神大海の実子・中神竜二は、楮木亨に父親が銃撃により重傷を負わされ、叔父・中海強を刺殺された事に恨みを持っていた。 -1986年、楮木亨は、人吉市に新しい別の店を出店。 -同年12月8日、中神竜二は不良仲間と共に楮木亨の店に乗り込み、[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]・楮木組組長・楮木亨を刺殺した。 しかし、この事件が「手打ち破り」となり、以後[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]と[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]は抗争に突入する。 ** 古賀一家と稲葉一家の抗争拡大 道仁会と山口組の抗争へ [#ab8a50cc] *** 稲葉一家川井組組長襲撃事件 [#d12832ae] -1986年12月10日、福岡県飯塚市で、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]川井組組長・川井長治が、[[道仁会]][[松尾組>松尾組(道仁会)]]組員に襲撃された。 この事件により、[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]と[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]の抗争から、[[道仁会]]と[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]の抗争となった。 *** 稲葉一家稲山会幹部射殺事件 [#i689032f] -1986年12月11日、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]稲山会会長・山下純二と稲山会幹部が[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]本部に詰めていたところ、[[道仁会]]系[[松尾組>松尾組(道仁会)]]組員が襲撃し、稲山会幹部が射殺された。 *** 道仁会大中組内誠心会組員襲撃事件 [#sc2bacb0] -[[道仁会]]の拠点である久留米や大牟田は、炭鉱や土建の失業者が多く地元経済も冷え込んでいたため、[[道仁会]]はシノギを求め、大中組を先兵として福岡へ進出した。 これに対し、福岡市を縄張りとしていた[[山口組]][[伊豆組]]は、[[道仁会]]大中組の動きを警戒した。 -1986年12月16日、[[伊豆組]]が、[[道仁会]]大中組傘下誠心会組員を拉致し、[[道仁会]]の縄張りである久留米へ帰るように脅し、さらに誠心会事務所に乗り込み、誠心会組員を銃撃し重傷を負わせた。 -これに対して[[道仁会]]も、すぐに[[伊豆組]]組員を襲撃した。 -この事件で、抗争は[[道仁会]]と[[山口組]]の抗争へと拡大した。 ** 抗争の激化 [#v3eb7308] *** 少年誤射事件 [#r51e7056] -1986年12月18日、[[道仁会]]組員が、福岡市内の[[伊豆組]][[伊豆一家>光生会]]の組事務所前をうろついていた少年3人を[[伊豆一家>光生会]]組員と間違え、少年1人を射殺、1人を負傷させた。 *** 稲葉一家幹部誤射事件 [#b41462b0] -同年12月18日、[[道仁会]]組員が熊本市内の病院に入院していた[[稲葉一家]]幹部・山野一郎と間違え、隣のベットに入院していた男性の見舞いにきた男性運転手を射殺した。 *** 稲葉一家幹部病院襲撃事件 [#we1d63e4] -同年12月21日、福岡県大野城市内の病院に入院していた[[稲葉一家]]見城会幹部が、見舞客を装った[[道仁会]]系組員に銃撃され、重傷を負った。 *** 警察官誤射事件 [#k71cbfec] -同年12月27日、[[道仁会]]組員が、[[稲葉一家]][[島村組>島村組(稲葉一家)]]事務所前で警戒中の警官を銃撃して重傷を負わせた。 *** 道仁会本部事務所銃撃事件[#k71cbfec] -同年12月30日、[[伊豆組]][[財木組>財木組(伊豆組)]]組員2名が、[[道仁会]]本部事務所に1tトラックで乗りつけ荷台の上に立ち本部事務所を警戒中の機動隊員の隙間から本部事務所を銃撃。機動隊員も発砲したが負傷者はいなかった。 *** アルバイト学生誤射事件 [#xb3c2c8e] -同年12月31日、[[道仁会]]組員が、[[伊豆組]]系の露店事務所でアルバイトの学生を銃撃し負傷させた。 *** 元旦の道仁会系事務所発砲事件 [#d44f0963] -1987年1月1日、元旦早々に[[伊豆組]]系組員が[[道仁会]]系組事務所に発砲した。 *** 伊豆組組員襲撃事件 [#h344e77a] -同年1月2日、福岡市内で[[伊豆組]]組員を[[道仁会]]組員が銃撃、[[伊豆組]]組員は重傷を負った。 *** その他の事件 [#vcdc398a] -福岡市の[[道仁会]]組員の愛人宅への発砲事件。 -[[道仁会]]系組員の兄家に発砲し、年始客が負傷した事件。 -[[道仁会]]関係者と親しい金融業者宅が発砲され、テレビを見ていた中学2年生が負傷した事件。 などが発生した。 ** 福岡県警による「抗争終結工作」 [#o635978a] -福岡県警は、[[伊豆組]]組員ら93人を任意同行し、[[伊豆組]]組長・[[伊豆健児]]に「抗争終結」を趣旨とする誓約書に署名をさせた。この時、[[稲葉一家]]組長・[[稲葉実]]は服役中であった。 -また、[[道仁会]]組員66人も任意同行させ、名古屋刑務所に服役中の[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]に代わり、[[道仁会]]の責任者に「抗争終結」の誓約書の署名をさせた。 ** 「抗争終結工作」後も続く抗争 [#v9895876] *** スーパー店内での道仁会系組員射殺事件 [#qb2172f4] -1987年1月18日、抗争終結を誓約した直後、スーパーで買い物中の[[道仁会]][[松尾組>松尾組(道仁会)]]菊地組組員が、店内で[[伊豆組]]系幹部に襲撃され射殺された。 買い物客が多い夕方のスーパー店内での犯行で、警察は「抗争終結」の誓約は流れたと判断し組事務所を徹底的に強制捜査した。 *** 道仁会本部への手榴弾攻撃事件 [#saac4e83] -同年1月23日、[[道仁会]]本部事務所に手榴弾が投げ込まれる。 本部事務所に被害はなかったが、道路のアスファルトが爆発で飛び散り、近隣の民家などが被害を受けた。 ** 山道抗争終結へ [#ze20ad5a] *** 道仁会会長の出所 [#m71a783a] -1987年2月11日、名古屋刑務所に服役していた[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]が久留米刑務所へ護送され、この時警察が「抗争終結宣言」を出すよう説得、[[古賀磯次]]はこれを受け入れた。 -同年2月12日、久留米刑務所から出所した[[古賀磯次]]は、[[道仁会]]本部事務所へ向かい、組員に「抗争終結」を伝えた。 ** 抗争終結から手打ち式 [#q7e2af37] *** 抗争終結 [#v5b7556e] -同年2月14日、[[伊豆組]]組長・[[伊豆健児]]もあらためて抗争終結の誓約書を各警察に提出し、[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]も同じく抗争終結の誓約書を出し、[[稲葉一家]]も抗争終結に賛同した。 これにより発砲事件77件、死者9名、重軽傷者16名の被害を出した「山道抗争」は終結した。 *** 手打ち式 [#t008ad18] -同年3月3日、北九州市小倉で、仲裁人・[[工藤会>工藤會]]会長・[[工藤玄治]]、奔走人・草野一家総長・[[草野高明]]と[[太州会]]会長・[[太田州春]]、立会人として九州・沖縄の親分衆が列席し、手打ち式が行われた。この手打ち式に関し、何度も手打ちが破られ抗争が激化した各組織を説得し、完全なる和解に向けて行動したのが[[溝下秀男]]である。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 山道抗争 [#k8af8513] ''山道抗争''(やまみちこうそう)は1986年7月29日から1987年3月3日にかけて九州各地でおきた四代目[[山口組]]系[[伊豆組]]及び[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]と、[[道仁会]]との抗争事件。 ** 抗争の発端 [#e306a304] -熊本県人吉市にあった「藤本組」幹部・中神大海(のちに[[山口組]]系[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]・中神会会長)の実弟・中神強が、日ごろから仲が悪かった藤本組若頭・楮木亨(のち[[道仁会]]系[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]・楮木組組長)を酒の席でなじった。 *** 中神強刺殺事件 [#r3d3e692] -1966年、楮木亨は酒席でなじられた報復として中神強を刺殺。 -藤本組組長は、自分の若衆同志が揉め事を起こしたことに責任を感じて引退。 -楮木亨は長期服役した。 *** 中神大海の山口組系稲葉一家加入 [#rd09b6a0] -中神大海は、藤本組解散後に三代目[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]組長・[[稲葉実]]の舎弟となり、熊本県人吉市に中神組(のちに中神会)を結成。 *** 楮木亨の道仁会加入 [#xa8e5d5c] -1986年、楮木亨は出所後、[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]組長・古賀徹の舎弟となり、熊本県八代市に楮木組を結成。 ** 中神大海襲撃事件 [#o7d09eab] *** 原因 [#n676e67c] -楮木亨は旧藤本組の縄張りであり、自らの故郷でもある人吉市にクラブを開店。 これに対し人吉市を縄張りとしていた中神大海が激怒した。 さらに、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]中神会組長・吉川茂男が、[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]楮木組に移籍したことも恥をかかされたと思っていた。 中神大海はかつて実弟・中海強が刺殺された事もあり、楮木亨と吉川茂男を殺すと吹聴していた。 *** 事件 [#xa38f6d7] -1986年7月29日、中神大海に殺される前にこちらから殺そうと、吉川茂男ら2人が中神大海を銃撃。中神大海は一命はとりとめたが重傷を負った。 逮捕された吉川茂男らは単独犯行と供述し、楮木亨の指示はないと主張した。 -[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]総長・[[古賀徹]]と、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]代貸・[[島村國光]]とが兄弟分であったこともあり、中神大海襲撃事件は手打ちとなった。 ** 手打ち破りから抗争へ [#r9a6ef36] *** 楮木亨刺殺事件 [#r117b0ce] -中神大海の実子・中神竜二は、楮木亨に父親が銃撃により重傷を負わされ、叔父・中海強を刺殺された事に恨みを持っていた。 -1986年、楮木亨は、人吉市に新しい別の店を出店。 -同年12月8日、中神竜二は不良仲間と共に楮木亨の店に乗り込み、[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]・楮木組組長・楮木亨を刺殺した。 しかし、この事件が「手打ち破り」となり、以後[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]と[[道仁会]][[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]は抗争に突入する。 ** 古賀一家と稲葉一家の抗争拡大 道仁会と山口組の抗争へ [#ab8a50cc] *** 稲葉一家川井組組長襲撃事件 [#d12832ae] -1986年12月10日、福岡県飯塚市で、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]川井組組長・川井長治が、[[道仁会]][[松尾組>松尾組(道仁会)]]組員に襲撃された。 この事件により、[[古賀一家>古賀一家(道仁会)]]と[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]の抗争から、[[道仁会]]と[[山口組]][[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]の抗争となった。 *** 稲葉一家稲山会幹部射殺事件 [#i689032f] -1986年12月11日、[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]稲山会会長・山下純二と稲山会幹部が[[稲葉一家>稲葉一家(山口組)]]本部に詰めていたところ、[[道仁会]]系[[松尾組>松尾組(道仁会)]]組員が襲撃し、稲山会幹部が射殺された。 *** 道仁会大中組内誠心会組員襲撃事件 [#sc2bacb0] -[[道仁会]]の拠点である久留米や大牟田は、炭鉱や土建の失業者が多く地元経済も冷え込んでいたため、[[道仁会]]はシノギを求め、大中組を先兵として福岡へ進出した。 これに対し、福岡市を縄張りとしていた[[山口組]][[伊豆組]]は、[[道仁会]]大中組の動きを警戒した。 -1986年12月16日、[[伊豆組]]が、[[道仁会]]大中組傘下誠心会組員を拉致し、[[道仁会]]の縄張りである久留米へ帰るように脅し、さらに誠心会事務所に乗り込み、誠心会組員を銃撃し重傷を負わせた。 -これに対して[[道仁会]]も、すぐに[[伊豆組]]組員を襲撃した。 -この事件で、抗争は[[道仁会]]と[[山口組]]の抗争へと拡大した。 ** 抗争の激化 [#v3eb7308] *** 少年誤射事件 [#r51e7056] -1986年12月18日、[[道仁会]]組員が、福岡市内の[[伊豆組]][[伊豆一家>光生会]]の組事務所前をうろついていた少年3人を[[伊豆一家>光生会]]組員と間違え、少年1人を射殺、1人を負傷させた。 *** 稲葉一家幹部誤射事件 [#b41462b0] -同年12月18日、[[道仁会]]組員が熊本市内の病院に入院していた[[稲葉一家]]幹部・山野一郎と間違え、隣のベットに入院していた男性の見舞いにきた男性運転手を射殺した。 *** 稲葉一家幹部病院襲撃事件 [#we1d63e4] -同年12月21日、福岡県大野城市内の病院に入院していた[[稲葉一家]]見城会幹部が、見舞客を装った[[道仁会]]系組員に銃撃され、重傷を負った。 *** 警察官誤射事件 [#k71cbfec] -同年12月27日、[[道仁会]]組員が、[[稲葉一家]][[島村組>島村組(稲葉一家)]]事務所前で警戒中の警官を銃撃して重傷を負わせた。 *** 道仁会本部事務所銃撃事件[#k71cbfec] -同年12月30日、[[伊豆組]][[財木組>財木組(伊豆組)]]組員2名が、[[道仁会]]本部事務所に1tトラックで乗りつけ荷台の上に立ち本部事務所を警戒中の機動隊員の隙間から本部事務所を銃撃。機動隊員も発砲したが負傷者はいなかった。 *** アルバイト学生誤射事件 [#xb3c2c8e] -同年12月31日、[[道仁会]]組員が、[[伊豆組]]系の露店事務所でアルバイトの学生を銃撃し負傷させた。 *** 元旦の道仁会系事務所発砲事件 [#d44f0963] -1987年1月1日、元旦早々に[[伊豆組]]系組員が[[道仁会]]系組事務所に発砲した。 *** 伊豆組組員襲撃事件 [#h344e77a] -同年1月2日、福岡市内で[[伊豆組]]組員を[[道仁会]]組員が銃撃、[[伊豆組]]組員は重傷を負った。 *** その他の事件 [#vcdc398a] -福岡市の[[道仁会]]組員の愛人宅への発砲事件。 -[[道仁会]]系組員の兄家に発砲し、年始客が負傷した事件。 -[[道仁会]]関係者と親しい金融業者宅が発砲され、テレビを見ていた中学2年生が負傷した事件。 などが発生した。 ** 福岡県警による「抗争終結工作」 [#o635978a] -福岡県警は、[[伊豆組]]組員ら93人を任意同行し、[[伊豆組]]組長・[[伊豆健児]]に「抗争終結」を趣旨とする誓約書に署名をさせた。この時、[[稲葉一家]]組長・[[稲葉実]]は服役中であった。 -また、[[道仁会]]組員66人も任意同行させ、名古屋刑務所に服役中の[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]に代わり、[[道仁会]]の責任者に「抗争終結」の誓約書の署名をさせた。 ** 「抗争終結工作」後も続く抗争 [#v9895876] *** スーパー店内での道仁会系組員射殺事件 [#qb2172f4] -1987年1月18日、抗争終結を誓約した直後、スーパーで買い物中の[[道仁会]][[松尾組>松尾組(道仁会)]]菊地組組員が、店内で[[伊豆組]]系幹部に襲撃され射殺された。 買い物客が多い夕方のスーパー店内での犯行で、警察は「抗争終結」の誓約は流れたと判断し組事務所を徹底的に強制捜査した。 *** 道仁会本部への手榴弾攻撃事件 [#saac4e83] -同年1月23日、[[道仁会]]本部事務所に手榴弾が投げ込まれる。 本部事務所に被害はなかったが、道路のアスファルトが爆発で飛び散り、近隣の民家などが被害を受けた。 ** 山道抗争終結へ [#ze20ad5a] *** 道仁会会長の出所 [#m71a783a] -1987年2月11日、名古屋刑務所に服役していた[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]が久留米刑務所へ護送され、この時警察が「抗争終結宣言」を出すよう説得、[[古賀磯次]]はこれを受け入れた。 -同年2月12日、久留米刑務所から出所した[[古賀磯次]]は、[[道仁会]]本部事務所へ向かい、組員に「抗争終結」を伝えた。 ** 抗争終結から手打ち式 [#q7e2af37] *** 抗争終結 [#v5b7556e] -同年2月14日、[[伊豆組]]組長・[[伊豆健児]]もあらためて抗争終結の誓約書を各警察に提出し、[[道仁会]]会長・[[古賀磯次]]も同じく抗争終結の誓約書を出し、[[稲葉一家]]も抗争終結に賛同した。 これにより発砲事件77件、死者9名、重軽傷者16名の被害を出した「山道抗争」は終結した。 *** 手打ち式 [#t008ad18] -同年3月3日、北九州市小倉で、仲裁人・[[工藤会>工藤會]]会長・[[工藤玄治]]、奔走人・草野一家総長・[[草野高明]]と[[太州会]]会長・[[太田州春]]、立会人として九州・沖縄の親分衆が列席し、手打ち式が行われた。この手打ち式に関し、何度も手打ちが破られ抗争が激化した各組織を説得し、完全なる和解に向けて行動したのが[[溝下秀男]]である。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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