山健組(山口組)
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* 山健組 [#h28d0e7a] ''五代目山健組''(やまけんぐみ)は[[兵庫県神戸市中央区花隈町26-4:https://maps.app.goo.gl/JjkuaKdJDAw8CFdS9]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。 #ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像) ** 略歴 [#e11d74e3] #ac(h,open){{ -太平洋戦争終戦後、[[山本健一]]が神戸市内で[[尾崎彰春]]らと共に率いた愚連隊を源流としている。 -1951年頃、[[山本健一]]は当時三代目[[山口組]]若頭の[[安原政雄]]([[安原会]]会長)の賭場でいさかいを起こし、その度胸を買われ安原の若衆となり山口組に加入した。 -1954年、[[山本健一]]は[[梶原清晴]]らと地元の[[谷崎組]]を襲撃し、当時谷崎組の若頭であった野沢修に重傷を負わせた。この事件により懲役3年の実刑判決を受けて加古川刑務所に収監された。 -1957年、出所後、[[山本健一]]は三代目[[山口組]]若中に昇格した。 -1961年、[[山本健一]]により''山健組''が結成される。 その後、[[山本健一]]は[[山口組]]若頭補佐に就任。 -1971年に三代目[[山口組]]若頭・[[梶原清晴]]が海難事故で急死。 後任の若頭は、ともに若頭補佐の[[山本健一]]と[[山本広]]による決選投票が行われ、結果一度は[[山本広]]に決定したが、山本の直訴により[[山口組]]三代目組長の[[田岡一雄]]が[[山本健一]]を若頭に指名。 [[田岡一雄]]の後継者と目されながらも1981年7月、[[田岡一雄]]の死後、翌1982年2月に病死。二代目は若頭・[[健竜会]]会長・[[渡辺芳則]]が継承した。 -1984年、四代目[[山口組]]組長に就任した[[竹中正久]]は、二代目山健組組長・[[渡辺芳則]]を若頭補佐に抜擢。 -1985年1月、四代目[[山口組]]若頭・[[中山勝正]]が暗殺されると、2月に編成された暫定執行部体制で[[渡辺芳則]]が後任の若頭に就任。 -1989年、[[渡辺芳則]]が五代目[[山口組]]組長に就任すると、三代目を[[桑田兼吉]]が継承した。また、[[中野会]]会長・[[中野太郎]]ら山健組最高幹部10人が同年五代目山口組若中に昇格。 -1990年、[[桑田兼吉]]と[[中野太郎]]が[[山口組]]若頭補佐に就任。山健組の勢力を五代目山口組の最大派閥へと押し上げた。 -2003年、[[桑田兼吉]]の懲役7年の判決が確定すると、若頭・[[橋本弘文]]([[極心連合会]]会長)を組長代行に昇格させ、[[井上邦雄]](四代目[[健竜会]]会長)を後任の若頭とした。 -2005年、[[橋本弘文]]と前舎弟頭の相談役・[[太田会]]会長・[[太田守正]]が五代目[[山口組]]若中へ昇格、その後[[橋本弘文]]は五代目[[山口組]]若頭補佐に昇格。 同年、六代目[[山口組]]が発足、[[桑田兼吉]]が引退し若頭・[[井上邦雄]]が四代目を継承。山口組幹部に昇格した。 同年11月、山健組舎弟頭の[[木村阪喜]]([[木村會]]会長)と、舎弟頭補佐の[[森尾卯太男]]([[大同会]]会長)が六代目[[山口組]]若中に昇格。 同年12月、[[井上邦雄]]が六代目[[山口組]]若頭補佐兼阪神ブロック長に昇格。 *** 六代目山口組を脱退・神戸山口組結成 -2015年8月26日、六代目[[山口組]]組長・[[司忍]]の出身である[[弘道会]]を中心とした[[山口組]]の組織運営に不満を募らせた山健組を含む複数の組織が脱退の動きを見せる。 -翌27日、六代目[[山口組]]執行部は脱退した組長10数人を絶縁・破門とした。 山健組は他の離脱組織とともに''[[神戸山口組]]''を結成。[[井上邦雄]]が組長に就任した。 -2017年1月11日、[[会津小鉄会]]の分裂騒動に介入して、京都市内の本部事務所に乱入し[[弘道会]]派の組員を襲撃。しばらく間総本部を占領した。 -同年4月30日、当時の副組長・[[織田絆誠]]([[神戸山口組]]若頭代行)と直参の30%超が脱退し、新たに''[[任俠団体山口組>絆會]]''を結成した。 -2018年5月5日、緊急直系組長会が開催され、五代目[[健竜会]]会長・[[中田浩司]]が''山健組五代目''を継承する事が報告された。 同月16日、山健会館にて五代目山健組継承盃儀式が行われ、[[神戸山口組]]若頭・[[寺岡修]]([[俠友会>侠友会(兵庫県)]]会長)が取持人、副組長・[[入江禎]](二代目[[宅見組]]組長)が特別推薦人を務めた。 媒酌人は[[神戸山口組]]と親交がある五代目[[浅野組>浅野組(指定暴力団)]]幹部・[[櫻井新也]]が務めた。 -2019年10月11日、兵庫県公安委員会により本部事務所に使用制限が掛けられる。 -同年12月4日 、五代目山健組組長である[[中田浩司]]が、三代目[[弘道会]]系組員銃撃事件の実行犯として逮捕・起訴される([[※:https://yakuzanews.jp/blog-entry-10274.html]])。 -2020年1月7日、[[神戸山口組]]が[[特定抗争指定暴力団]]に指定されると、山健組本部事務所も使用制限区域内となった。 -同年7月22日、[[神戸山口組]]を脱退。 -同年8月、[[中田浩司]]が他団体に脱退挨拶書状を送付。 -同月24日、[[神戸山口組]]に残留した[[直参20人>山健組(神戸山口組)]]を、組長の意に従わなかったとして一斉に処分。 -同年9月10日、[[神戸山口組]]が[[中田浩司]]を除籍。 *** 六代目山口組への復帰 -2021年9月16日、六代目[[山口組]]へ復帰。[[中田浩司]]は幹部として迎え入れられた。 -同月22日、最高幹部らが六代目[[山口組]]・[[淡海一家]]の本部事務所で[[髙山清司>高山清司]]と面会し、六代目山口組へ合流する意向を伝え、正式に承認された。 -同年10月15日、五代目山健組の定例会において、「五代目山健組はいつでも門戸を開けている」として「[[神戸山口組]]に残留した[[山健組>山健組(神戸山口組)]]勢力を一刻も早く戻す」ことを確認した。 -同年12月、[[中田浩司]]は獄中から、[[神戸山口組]]組長・[[井上邦雄]]の親族の会社名義となっている「山健会館」や、死亡した四代目山健組最高幹部の遺族所有となっている関連施設について、「本部を含めた関連施設は山健組の資産であり、代表者である組長が登記上の所有者になるべき」と記載された山健組の勾留中・服役中も含めた全直参の署名・捺印した同意書と共に、「山健組構成員に総有されるもので、個人が所有するものではない」として、中田名義に変更するよう所有権移転登記手続きを求めて提訴した。 -2022年3月8日、[[中田浩司]]は前組長の[[井上邦雄]]が住む自宅についても、関連施設と同様の民事訴訟を起こした。 -2024年10月31日、三代目[[弘道会]]系組員銃撃事件の実行犯として殺人未遂罪などに問われた[[中田浩司]]の裁判で、神戸地裁は無罪判決(求刑・懲役20年)を言い渡した([[※:https://www.yakuza-news.jp/?p=3937]])。 2025年1月24日、[[中田浩司]]が六代目[[山口組]]幹部から若頭補佐に昇格。 }} ** 山健組系譜 [#ge58bec2] 初 代 - [[山本健一]](三代目[[山口組]]若頭) 二代目 - [[渡辺芳則]](五代目[[山口組]]組長) 三代目 - [[桑田兼吉]](五代目[[山口組]]若頭補佐) 四代目 - [[井上邦雄]]([[神戸山口組]]組長) 五代目 - [[中田浩司]] ** 五代目山健組組織図 [#t2eb5aa3] *** 組長 [#y2a697bf] [[中田浩司]](六代目[[山口組]]若頭補佐) *** 執行部 [#vc6354e3] 若 頭 - [[物部浩久]](三代目[[妹尾組>妹尾組(山健組)]]組長) 舎弟頭 - [[福富 均>福富均]]([[福富組]]組長)- 服役中 本部長 - [[水田忠好]](三代目[[村正会>村正会(山健組)]]会長) 若頭補佐 - [[中村啓一]](二代目[[南進会]]会長) 若頭補佐 - [[田中純一]](二代目[[中川連合会>中川連合会(山健組)]]会長) 若頭補佐 - [[松森 治>松森治]](三代目[[宮鉄組]]組長) 若頭補佐 - [[岡田 渉>岡田渉]](二代目[[武神会]]会長) 若頭補佐 - [[蜜岡伸貞]](七代目[[健竜会]]会長) 舎弟頭補佐 - [[藪﨑 聡>藪崎聡]]([[藪﨑興業>藪崎興業]]組長) 舎弟頭補佐 - [[山下唯雄]](二代目[[野地組]]組長) 事務局長 - [[中西章泰]](四代目[[今倉組]]組長) *** 最高顧問 [#vc6354e3] [[鷲坂正美]] [[宝満国広]] *** 相談役 [#id535219] [[岬 正義>岬正義]]([[岬組]]組長) *** 舎弟 [#q0b1213c] [[吉田光守]]([[武龍会]]会長)- 服役中 [[中島隆二]] [[菱川 徹>菱川徹]]([[菱川組]]組長) [[石掛 勝>石掛勝]]([[竜仁会>竜仁会(山健組)]]会長) [[神宮司剛史]](二代目[[竜道会]]会長) *** 幹部 [#n0088407] [[山本 實>山本實]](二代目[[橘会]]会長) [[高倉重典]](三代目[[松藤組]]組長) [[村中正也]](三代目[[晃心会>晃心会(山健組)]]会長) 慶弔委員長 - [[香西一寿]]([[香西組]]組長) 慶弔委員 - [[櫻井弘士]](二代目[[山下組>山下組(山健組)]]組長) *** 若中 [#a0ad23a6] [[木本陸郎]](三代目[[鷲坂組]]組長) 慶弔委員 - [[中西昭夫]](二代目[[宮田興業]]組長) 慶弔委員 - [[中島義樹]](五代目[[春駒組>春駒組(山健組)]]組長) [[浅野政幸]]([[浩政会]]会長) 慶弔委員 - [[池上竜太郎]]([[浩竜会]]会長)- &color(red){服役中}; 慶弔副委員長 - [[磯村政之]]([[磯村組>磯村組(山健組)]]組長) [[下岡永壱]]([[下岡組]]組長) 慶弔委員 - [[藤本淳蒔]]([[藤本組>藤本組(山健組)]]組長) [[大路公貴]](二代目[[明王会]]会長) [[升水明洋]]([[升水興業]]組長) *** 本部預かり [#be71b154] [[藤 勝彦>藤勝彦]](二代目[[健仁会]]代表) [[松下 愼>松下愼]](七代目[[紀州連合会]]代表) ** 過去の組織図 [#ue6abc05] -[[五代目山健組組織図(2018年)]] -[[四代目山健組組織図(2016年)]] -[[三代目山健組組織図]] ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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* 山健組 [#h28d0e7a] ''五代目山健組''(やまけんぐみ)は[[兵庫県神戸市中央区花隈町26-4:https://maps.app.goo.gl/JjkuaKdJDAw8CFdS9]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。 #ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像) ** 略歴 [#e11d74e3] #ac(h,open){{ -太平洋戦争終戦後、[[山本健一]]が神戸市内で[[尾崎彰春]]らと共に率いた愚連隊を源流としている。 -1951年頃、[[山本健一]]は当時三代目[[山口組]]若頭の[[安原政雄]]([[安原会]]会長)の賭場でいさかいを起こし、その度胸を買われ安原の若衆となり山口組に加入した。 -1954年、[[山本健一]]は[[梶原清晴]]らと地元の[[谷崎組]]を襲撃し、当時谷崎組の若頭であった野沢修に重傷を負わせた。この事件により懲役3年の実刑判決を受けて加古川刑務所に収監された。 -1957年、出所後、[[山本健一]]は三代目[[山口組]]若中に昇格した。 -1961年、[[山本健一]]により''山健組''が結成される。 その後、[[山本健一]]は[[山口組]]若頭補佐に就任。 -1971年に三代目[[山口組]]若頭・[[梶原清晴]]が海難事故で急死。 後任の若頭は、ともに若頭補佐の[[山本健一]]と[[山本広]]による決選投票が行われ、結果一度は[[山本広]]に決定したが、山本の直訴により[[山口組]]三代目組長の[[田岡一雄]]が[[山本健一]]を若頭に指名。 [[田岡一雄]]の後継者と目されながらも1981年7月、[[田岡一雄]]の死後、翌1982年2月に病死。二代目は若頭・[[健竜会]]会長・[[渡辺芳則]]が継承した。 -1984年、四代目[[山口組]]組長に就任した[[竹中正久]]は、二代目山健組組長・[[渡辺芳則]]を若頭補佐に抜擢。 -1985年1月、四代目[[山口組]]若頭・[[中山勝正]]が暗殺されると、2月に編成された暫定執行部体制で[[渡辺芳則]]が後任の若頭に就任。 -1989年、[[渡辺芳則]]が五代目[[山口組]]組長に就任すると、三代目を[[桑田兼吉]]が継承した。また、[[中野会]]会長・[[中野太郎]]ら山健組最高幹部10人が同年五代目山口組若中に昇格。 -1990年、[[桑田兼吉]]と[[中野太郎]]が[[山口組]]若頭補佐に就任。山健組の勢力を五代目山口組の最大派閥へと押し上げた。 -2003年、[[桑田兼吉]]の懲役7年の判決が確定すると、若頭・[[橋本弘文]]([[極心連合会]]会長)を組長代行に昇格させ、[[井上邦雄]](四代目[[健竜会]]会長)を後任の若頭とした。 -2005年、[[橋本弘文]]と前舎弟頭の相談役・[[太田会]]会長・[[太田守正]]が五代目[[山口組]]若中へ昇格、その後[[橋本弘文]]は五代目[[山口組]]若頭補佐に昇格。 同年、六代目[[山口組]]が発足、[[桑田兼吉]]が引退し若頭・[[井上邦雄]]が四代目を継承。山口組幹部に昇格した。 同年11月、山健組舎弟頭の[[木村阪喜]]([[木村會]]会長)と、舎弟頭補佐の[[森尾卯太男]]([[大同会]]会長)が六代目[[山口組]]若中に昇格。 同年12月、[[井上邦雄]]が六代目[[山口組]]若頭補佐兼阪神ブロック長に昇格。 *** 六代目山口組を脱退・神戸山口組結成 -2015年8月26日、六代目[[山口組]]組長・[[司忍]]の出身である[[弘道会]]を中心とした[[山口組]]の組織運営に不満を募らせた山健組を含む複数の組織が脱退の動きを見せる。 -翌27日、六代目[[山口組]]執行部は脱退した組長10数人を絶縁・破門とした。 山健組は他の離脱組織とともに''[[神戸山口組]]''を結成。[[井上邦雄]]が組長に就任した。 -2017年1月11日、[[会津小鉄会]]の分裂騒動に介入して、京都市内の本部事務所に乱入し[[弘道会]]派の組員を襲撃。しばらく間総本部を占領した。 -同年4月30日、当時の副組長・[[織田絆誠]]([[神戸山口組]]若頭代行)と直参の30%超が脱退し、新たに''[[任俠団体山口組>絆會]]''を結成した。 -2018年5月5日、緊急直系組長会が開催され、五代目[[健竜会]]会長・[[中田浩司]]が''山健組五代目''を継承する事が報告された。 同月16日、山健会館にて五代目山健組継承盃儀式が行われ、[[神戸山口組]]若頭・[[寺岡修]]([[俠友会>侠友会(兵庫県)]]会長)が取持人、副組長・[[入江禎]](二代目[[宅見組]]組長)が特別推薦人を務めた。 媒酌人は[[神戸山口組]]と親交がある五代目[[浅野組>浅野組(指定暴力団)]]幹部・[[櫻井新也]]が務めた。 -2019年10月11日、兵庫県公安委員会により本部事務所に使用制限が掛けられる。 -同年12月4日 、五代目山健組組長である[[中田浩司]]が、三代目[[弘道会]]系組員銃撃事件の実行犯として逮捕・起訴される([[※:https://yakuzanews.jp/blog-entry-10274.html]])。 -2020年1月7日、[[神戸山口組]]が[[特定抗争指定暴力団]]に指定されると、山健組本部事務所も使用制限区域内となった。 -同年7月22日、[[神戸山口組]]を脱退。 -同年8月、[[中田浩司]]が他団体に脱退挨拶書状を送付。 -同月24日、[[神戸山口組]]に残留した[[直参20人>山健組(神戸山口組)]]を、組長の意に従わなかったとして一斉に処分。 -同年9月10日、[[神戸山口組]]が[[中田浩司]]を除籍。 *** 六代目山口組への復帰 -2021年9月16日、六代目[[山口組]]へ復帰。[[中田浩司]]は幹部として迎え入れられた。 -同月22日、最高幹部らが六代目[[山口組]]・[[淡海一家]]の本部事務所で[[髙山清司>高山清司]]と面会し、六代目山口組へ合流する意向を伝え、正式に承認された。 -同年10月15日、五代目山健組の定例会において、「五代目山健組はいつでも門戸を開けている」として「[[神戸山口組]]に残留した[[山健組>山健組(神戸山口組)]]勢力を一刻も早く戻す」ことを確認した。 -同年12月、[[中田浩司]]は獄中から、[[神戸山口組]]組長・[[井上邦雄]]の親族の会社名義となっている「山健会館」や、死亡した四代目山健組最高幹部の遺族所有となっている関連施設について、「本部を含めた関連施設は山健組の資産であり、代表者である組長が登記上の所有者になるべき」と記載された山健組の勾留中・服役中も含めた全直参の署名・捺印した同意書と共に、「山健組構成員に総有されるもので、個人が所有するものではない」として、中田名義に変更するよう所有権移転登記手続きを求めて提訴した。 -2022年3月8日、[[中田浩司]]は前組長の[[井上邦雄]]が住む自宅についても、関連施設と同様の民事訴訟を起こした。 -2024年10月31日、三代目[[弘道会]]系組員銃撃事件の実行犯として殺人未遂罪などに問われた[[中田浩司]]の裁判で、神戸地裁は無罪判決(求刑・懲役20年)を言い渡した([[※:https://www.yakuza-news.jp/?p=3937]])。 2025年1月24日、[[中田浩司]]が六代目[[山口組]]幹部から若頭補佐に昇格。 }} ** 山健組系譜 [#ge58bec2] 初 代 - [[山本健一]](三代目[[山口組]]若頭) 二代目 - [[渡辺芳則]](五代目[[山口組]]組長) 三代目 - [[桑田兼吉]](五代目[[山口組]]若頭補佐) 四代目 - [[井上邦雄]]([[神戸山口組]]組長) 五代目 - [[中田浩司]] ** 五代目山健組組織図 [#t2eb5aa3] *** 組長 [#y2a697bf] [[中田浩司]](六代目[[山口組]]若頭補佐) *** 執行部 [#vc6354e3] 若 頭 - [[物部浩久]](三代目[[妹尾組>妹尾組(山健組)]]組長) 舎弟頭 - [[福富 均>福富均]]([[福富組]]組長)- 服役中 本部長 - [[水田忠好]](三代目[[村正会>村正会(山健組)]]会長) 若頭補佐 - [[中村啓一]](二代目[[南進会]]会長) 若頭補佐 - [[田中純一]](二代目[[中川連合会>中川連合会(山健組)]]会長) 若頭補佐 - [[松森 治>松森治]](三代目[[宮鉄組]]組長) 若頭補佐 - [[岡田 渉>岡田渉]](二代目[[武神会]]会長) 若頭補佐 - [[蜜岡伸貞]](七代目[[健竜会]]会長) 舎弟頭補佐 - [[藪﨑 聡>藪崎聡]]([[藪﨑興業>藪崎興業]]組長) 舎弟頭補佐 - [[山下唯雄]](二代目[[野地組]]組長) 事務局長 - [[中西章泰]](四代目[[今倉組]]組長) *** 最高顧問 [#vc6354e3] [[鷲坂正美]] [[宝満国広]] *** 相談役 [#id535219] [[岬 正義>岬正義]]([[岬組]]組長) *** 舎弟 [#q0b1213c] [[吉田光守]]([[武龍会]]会長)- 服役中 [[中島隆二]] [[菱川 徹>菱川徹]]([[菱川組]]組長) [[石掛 勝>石掛勝]]([[竜仁会>竜仁会(山健組)]]会長) [[神宮司剛史]](二代目[[竜道会]]会長) *** 幹部 [#n0088407] [[山本 實>山本實]](二代目[[橘会]]会長) [[高倉重典]](三代目[[松藤組]]組長) [[村中正也]](三代目[[晃心会>晃心会(山健組)]]会長) 慶弔委員長 - [[香西一寿]]([[香西組]]組長) 慶弔委員 - [[櫻井弘士]](二代目[[山下組>山下組(山健組)]]組長) *** 若中 [#a0ad23a6] [[木本陸郎]](三代目[[鷲坂組]]組長) 慶弔委員 - [[中西昭夫]](二代目[[宮田興業]]組長) 慶弔委員 - [[中島義樹]](五代目[[春駒組>春駒組(山健組)]]組長) [[浅野政幸]]([[浩政会]]会長) 慶弔委員 - [[池上竜太郎]]([[浩竜会]]会長)- &color(red){服役中}; 慶弔副委員長 - [[磯村政之]]([[磯村組>磯村組(山健組)]]組長) [[下岡永壱]]([[下岡組]]組長) 慶弔委員 - [[藤本淳蒔]]([[藤本組>藤本組(山健組)]]組長) [[大路公貴]](二代目[[明王会]]会長) [[升水明洋]]([[升水興業]]組長) *** 本部預かり [#be71b154] [[藤 勝彦>藤勝彦]](二代目[[健仁会]]代表) [[松下 愼>松下愼]](七代目[[紀州連合会]]代表) ** 過去の組織図 [#ue6abc05] -[[五代目山健組組織図(2018年)]] -[[四代目山健組組織図(2016年)]] -[[三代目山健組組織図]] ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~
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