#author("2024-10-21T21:39:54+09:00;2024-10-21T21:39:41+09:00","","")
*高砂屋綱助 [#rce4f1e6]
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* 高砂屋綱助 [#rce4f1e6]
''高砂屋綱助''(たかさごやの こうすけ、本名・高橋綱助)は幕末の侠客、博徒。[[高砂屋一家]]二代目。
**略歴 [#vc7c4eaa]
** 略歴 [#vc7c4eaa]
-長岡の人。
-文政3年(1820年)、[[高砂屋治助]]こと高橋治助の倅に生まれる。
-若い頃、父治助の故郷である上州に旅立ち、[[大前田英五郎]]、[[国定忠治]]らに厄介になり、次いで東海道、甲州、信州に旅をかさね、渡世人としての仁義作法を身につけ、数年後に一人前の侠客となって石内に戻ってきたという。
-全身に大小四十五ヶ所の傷があったという。
-[[間ノ川一家>間ノ川一家(群馬県)]]・[[高瀬仙右衛門>間ノ川政五郎]]の弟分で三条の[[恵比寿屋助之亟>恵比寿屋助之丞]]、[[新飯田惣七]]とは兄弟分。
-[[観音寺一家]]二代目・[[観音寺久左衛門>観音寺久左衛門(九代目)]]とも兄弟分。
-文久2年4月22日歿。行年42歳か。墓所は新潟県長岡市亀貝町の妙音寺。
-文久2年4月22日没。行年42歳か。墓所は新潟県長岡市亀貝町の妙音寺。
** 検索用 [#o45a4585]
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高砂屋綱助、長岡綱助、長岡石内綱助、高砂屋ノ綱助、長岡ノ綱助、長岡石内ノ綱助、高橋綱助
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