#author("2024-12-22T10:58:59+09:00","","") #author("2024-12-22T12:02:02+09:00","","") * 誠友会 [#v219a603] ''五代目誠友会''(せいゆうかい)は[[北海道札幌市中央区南七条西6-2-1:https://goo.gl/maps/SJL5j9QyDboaoHSp7]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。 #ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像) ** 略歴[#x9754a94] *** 発足から山口組加入まで [#ea865dfe] #ac(h,alt){{ -1957年(昭和32年)、長岡宗一は[[會津家]]松葉一家小高・小高龍湖の実子分となった。 -長岡宗一と小高龍湖は不仲となった。 -1962年(昭和37年)5月、長岡宗一は小高龍湖に逆破門状を送った。 -長岡宗一は[[會津家]]から破門となり、''長友会''を結成した。 *** 北海道同志会を結成 -同年、「長友会」会長・長岡宗一、愚連隊・[[石間春夫]]、愚連隊・谷内二三男が五分の兄弟盃を交わし、三派を統合して「''北海道同志会''」を結成。初代会長に長岡宗一が就任。 この北海道同志会を起源としている。 -同年10月、長岡宗一は三代目[[山口組]]・[[柳川組>柳川組(山口組)]]の[[谷川康太郎]]と五分の兄弟分となった。 *** 三代目山口組・柳川組に加入 -同年暮れ、長岡宗一、[[石間春夫]]、谷内二三男は[[柳川組>柳川組(山口組)]]組長・[[柳川次郎]]の舎弟となった。 北海道同志会は三代目[[山口組]]・[[柳川組]]北海道支部の看板を掲げ、長岡宗一が支部長に就任した。 -1964年(昭和39年)、[[谷川康太郎]]が[[柳川組]]二代目を継承。 -1965年(昭和40年)、長岡宗一が引退し、[[石間春夫]]が支部長に就任した。 *** 二代目柳川組の解散 -1969年(昭和44年)、二代目[[柳川組]]が解散した。 -谷内二三男は、独断で[[柳川組]]北海道支部から脱退し、[[源清田]]一家・萩原敬士の舎弟となった。 萩原敬士や[[源清田]]長江四代目・塚本修翠、本郷清らを通して小高龍湖に詫びを入れ許された。 -1970年(昭和45年)、谷内二三男は、旧[[柳川組]]北海道支部を「''北海道誠友会''」と改称した。 谷内二三男が会長に、長岡宗一の実子分・[[田村武志]]が副会長に就任。[[石間春夫]]は服役中であったため相談役とされた。[[石間春夫]]は一連の経緯を知らされていなかった。 -北海道誠友会は、「[[山口組]]とは縁を持たない」という条件で、北海道のヤクザ組織から設立を認められた。 -同年6月、[[石間春夫]]が出所、北海道誠友会から脱退して「''北誠会''」を結成した。 -谷内二三男が病気により引退し、[[田村武志]]が「二代目北海道誠友会」会長に就任した。 *** 初代誠友会の結成 -同年、[[石間春夫]]と[[田村武志]]は、「北誠会」と「二代目北海道誠友会」を統合し「''初代誠友会''」を結成。総長に[[石間春夫]]、総長代行に[[田村武志]]が就任した。 [[石間春夫]]は初代誠友会において総長は自身の一代限りとした。 -その後、初代誠友会は北海道の親睦団体・[[北海道同行会]]に参加した。 -1980年(昭和55年)、[[奥州金子一家]]小林四代目・花田章が三代目[[山口組]]・[[加茂田組]]組長・[[加茂田重政]]の舎弟となったことを発端に、[[北海道同行会]]は三代目[[山口組]]・[[加茂田組]]と抗争を起こした。 -[[石間春夫]]は[[北海道同行会]]の総会で、道内ヤクザの一本化を主張したが、[[鍛冶屋宗家]]、[[越路家連合>越路家一家]]、[[三心会佐々木宗家>富田一家]]、伸明会、佐藤睦会、[[関東小松家]]、[[奥州金子一家]]が反対し、主張は通らなかった。 *** 山口組加入へ -誠友会と[[山口組]]の接触は1984年から進められており、四代目[[山口組]]・[[一会>一会(山口組)]]会長の[[野澤儀太郎]]が、札幌刑務所の病舎で[[石間春夫]]と面会。この時加入話は持ち出さなかったものの、同年秋には当時若頭補佐の[[渡辺芳則]]と[[桂木正夫]]が面会し、年明けには若頭である[[中山勝正]]と会う手筈になっていた。 -1985年(昭和60年)1月27日に、[[中山勝正]]が[[一和会]]の襲撃で急死すると、これをきっかけに[[石間春夫]]は[[山口組]]入りを決意する。なお直後私文書偽造により懲役4年の判決を受け、宮城刑務所に収監される。 加えて当時、初代誠友会が加入していた「[[北海道同行会]]」の会規に「内地の広域組織は同行会には入れない」とする条項があったものの、初代誠友会の姿勢は不透明であった。 }} *** 山口組加入から三代目まで [#vc4b972e] #ac(h,alt){{ -1985年(昭和60年)4月5日午後3時、[[山口組]]本部事務所で[[山口組]]の定例会が開かれ、[[山口組]]本部長・[[岸本才三]]が直系組長85人に対して、[[石間春夫]]の舎弟待遇での[[山口組]]加入が発表された。 -同月18日、[[山口組]]の[[中西一男]]・[[岸本才三]]・[[桂木正夫]]らと会見した[[石間春夫]]は、[[北海道同行会]]に脱退を通告。 -同年6月14日、脱退の扱いについて[[北海道同行会]]臨時総会でも結論は出なかった。 -同年7月、うやむやの中、[[北海道同行会]]に残留したまま[[石間春夫]]は四代目[[山口組]]舎弟となり、初代誠友会系列の事務所は[[山口組]]の「''山菱''」の代紋を掲げた。 -1989年(平成1年)1月21日午前0時40分、[[石間春夫]]は満期釈放で宮城刑務所から出所。 -同日午後、初代誠友会本部で[[石間春夫]]の放免祝いが行われ、[[渡辺芳則]]や4人の[[山口組]]直系組長などが参加した。 -同年2月、室蘭市で初代誠友会と飯島安達連合睦会との抗争が勃発。 -同年7月20日、[[山口組]]緊急幹部会が開かれ、若頭・[[渡辺芳則]]の五代目[[山口組]]を継承が決定。 同日、本家大広間で五代目継承相続式典が行われた。 [[石間春夫]]は[[渡辺芳則]]五代目の舎弟に直った。 -同年9月27日午前2時50分ごろ、札幌抗争が勃発。 -同年12月、[[右翼団体>日本の右翼団体]]・[[維新天誅会]]の訪問を受け、受け取ったお歳暮ののしに「[[共政会]]」と書かれてあったため、[[維新天誅会]]が[[共政会]]傘下だと知り、北海道内では[[山口組]]以外のヤクザ系[[右翼団体>日本の右翼団体]]の活動を認めないと宣言した。 -1990年(平成2年)1月4日、北海道神宮近くで、[[石間春夫]]が[[共政会]]系の[[右翼団体>日本の右翼団体]]・[[維新天誅会]]会員2人により射殺される。 *** 二代目 [#tc8c5ae7] -同年4月、[[田村武志]]が誠友会の二代目を継承。五代目[[山口組]]直参に昇格。 -誠友会に於いて総長名乗りは初代・[[石間春夫]]一代限りとした事から、二代目以降は会長となる。 -2001年(平成13年)10月18日、[[田村武志]]が病死。69歳没。 *** 三代目 [#v5b3bf47] -2002年(平成14年)、[[船木一治]]が三代目を継承。 -2012年(平成24年)4月、六代目[[山口組]]幹部に就任。 -2013年(平成25年)3月30日、三代目会長・[[船木一治]]が死去。 }} *** 四代目 [#p3b9c2f5] #ac(h,open){{ -同年5月、[[渡部隆]]が誠友会の四代目を継承し、六代目[[山口組]]直参に昇格。 -2024年(令和6年)3月7日、四代目・[[渡部隆]]が持病により75歳で死去。 }} *** 五代目 [#la8c90a0] #ac(h,open){{ -2024年(令和6年)3月17日、誠友会本部で臨時招集が開かれ、[[関谷弘志]]の五代目継承及び新人事の内諾を[[山口組]]本家より得られた旨の発表が行われた。 -同月31日、[[関谷弘志]]が六代目[[山口組]]若中として直参に昇格。 -同年5月9日、誠友会本部で、[[関谷弘志]]と組員の盃直しの儀式が執り行われた。 }} ** 北海道同志会~北誠会までの系譜 [#kde2996a] #ac(h,alt){{ *** 北海道同志会(柳川組北海道支部) [#ib40b690] 初 代 - 長岡宗一 二代目 - [[石間春夫]] *** 北海道誠友会 [#u8e10383] 初 代 - 谷内二三男 二代目 - [[田村武志]] *** 北誠会 [#a9c86bfd] [[石間春夫]] }} ** 誠友会系譜 [#d60c4626] 初 代 - [[石間春夫]](五代目[[山口組]]舎弟) 二代目 - [[田村武志]](五代目[[山口組]]若中) 三代目 - [[船木一治]](六代目[[山口組]]幹部) 四代目 - [[渡部 隆>渡部隆]](六代目[[山口組]]若中) 五代目 - [[関谷弘志]] ** 五代目誠友会組織図 [#h8274e38] *** 会長 [#x6fb93e7] [[関谷弘志]](六代目[[山口組]]若中) *** 最高顧問 [#da5cb602] [[高橋哲雄]] *** 最高幹部(執行五役) [#kca64803] 若 頭 - [[兼松義幸]](二代目[[渡部会>渡部会(誠友会)]]会長) 舎弟頭 - [[漆原健二]]([[漆原組]]組長) 本部長 - [[宮本正英]](二代目[[小仲組]]組長) 幹事長 - [[北川靖典]](二代目[[束田会]]会長) 副本部長 - [[古賀将史]](二代目[[島田組>島田組(誠友会)]]組長) *** 舎弟頭補佐(執行部) [#u65d2554] [[千 富士夫>千富士夫]]([[千組]]組長) [[宮井静夫]]([[宮井組]]組長) *** 顧問 [#jb62fca5] [[金澤雅典]]([[金澤組>金澤組(誠友会)]]組長) [[野本健二]]([[野本組]]組長) [[島田耕平]]([[島田総業]]組長) [[成田和人]]([[成田組>成田組(誠友会)]]組長) *** 若頭補佐(執行部) [#m4027ae3] [[内片誠治]] ([[内片組]]組長) 慶弔委員長 - [[種田隆広]] ([[種田組]]組長) [[黒澤道遠]] ([[黒澤組]]組長) [[田中一彦]] (二代目[[山元組]]組長) [[佐藤史仁]] (二代目[[藤森組]]組長) [[緒方洋亮]] ([[緒方組]]組長) [[板川政美]] ([[板川組]]組長) [[清水徳行]] (三代目[[山勝会]]会長) *** 舎弟[#w32b978f] [[豊吉清貴]]([[豊吉組]]組長) [[薄田豊美]]([[薄田会]]会長) [[富田道弘]]([[富田組>富田組(誠友会)]]組長) [[武井真也]]([[武井組>武井組(誠友会)]]組長) *** 幹部[#a07677d0] 慶弔委員 - [[関根広明]](二代目[[関根組>関根組(誠友会)]]組長) [[徳田 剛>徳田剛]](三代目[[田村組>田村組(誠友会)]]組長) [[山本道寛]]([[寛組]]組長) [[成田冬馗]](四代目[[高橋組>高橋組(誠友会)]]組長) *** 若中[#f3d813b6] 慶弔委員 - [[松下 孝>松下孝]]([[松下組>松下組(誠友会)]]組長) 慶弔委員 - [[三浦隆志]]([[三浦組>三浦組(誠友会)]]組長) 慶弔委員 - [[今野靖治]]([[今野組>今野組(誠友会)]]組長) [[香川國洋]](三代目[[西村会>西村会(誠友会)]]会長) [[漆原龍三]]([[健道組]]組長) [[佐々木圭悟]](二代目[[飛山組]]組長) ***相談役 [#ra6ca7a8] [[工藤隆則]] ([[工藤組]]組長) [[飛山仁志]] [[中山良作]] - 服役中 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 - 若頭補佐三代目山勝組は誤りで、三代目山勝会が正解です。 -- [[誠友会]] &new{2024-12-22 (日) 02:03:12}; - 若頭補佐三代目山勝会清水徳行会長です。宜しくお願いします。 -- [[山口勝彦]] &new{2024-12-22 (日) 07:12:10}; - 山勝組は良知組、山勝会は誠友会。初代からの名称 -- &new{2024-12-22 (日) 07:59:32}; - 若頭補佐の清水徳行会長が三代目を継承した組織、組と会が間違ってます。三代目山勝組ではなく、三代目山勝会です。 -- [[石間春男]] &new{2024-12-22 (日) 09:04:07}; - 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