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* 尾津喜之助 [#y2410ecd]
''尾津喜之助''(おづ きのすけ、尾津㐂之助、別名・平井政雄、平井扇風、1897年1月28日 - 1977年6月28日)は日本の香具師。[[全日本飯島連合会]]会長、[[飯島]]一家[[小倉>小倉会]]二代目、[[関東尾津組]]組長。
** 略歴 [#k16cf399]
-明治31年1月28日、東京本所相生町に生まれる。父は砲兵工廠を経て鋳物工場を営んでいた。
-2歳の頃、母が家を捨てて父が後妻を迎える。
-14歳で旧制府立第三中学校に合格するが継母に反対され入学を辞退。棒切れで継母を叩き家出する。
-浅草で浮浪者同然の暮らしをしていると追い剥ぎにあい、地元の不良グループのリーダーに拾われ子分となる。
-15歳の頃、喧嘩で肉切り包丁で相手を斬る。東京北部の炭鉱へ身を隠す。ここでも不良として暴れまわる。
-築地の工手学校に入学する。
-大正3年、16歳で不良グループ紫義団を結成。小石川の円乗寺で結団式を行う。飲み屋の用心棒を行い、新聞の立ち売り等を配下に入れ組織化していく。
-浅草の不良グループ赤帯組と抗争を起こし、大阪に逃れる。
-大阪でも建築の仕事をしながら子分を持つ。
-土建業平井組で働く。
-19歳の頃、対立する赤田組と喧嘩になり、相手の組長を襲撃するが返り討ちに合う。
仲裁が入り赤田組長と兄弟分になる。
-平井組長の娘と結婚。
-大正7年、20歳の頃松島の芸者遊びにはまり会社の金を使い込み逃亡。
-平井組の娘と結婚。
-大正7年、20歳の頃松島の芸者遊びにはまり会社の金を使い込んで逃亡。
-[[小倉>小倉会]]二代目を継承。[[関東尾津組]]を結成した。
-戦後新宿駅東口に闇市新宿マーケットを開いた。
-[[全日本飯島連合会>飯島連合会]]の会長に就任。
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