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#author("2025-01-11T23:59:43+09:00","","")
* 信濃屋一家[#l5d995b3]
''信濃屋一家''(しなのやいっか)は愛知県江南市に本拠を置いた博徒系暴力団。
** 略歴[#kfa06551]
-幕末の頃、信濃生まれの[[信濃屋喜兵衛]]が尾張国丹羽郡にきて博徒の親分となり、一家を興し出生地の名を取って''信濃屋一家''と称した。
-多数の有力な子分を養うと同時に東春日井郡において[[瀬戸一家]]と覇を争った[[北熊一家]]の親分・[[近藤實左衛門>北熊実左衛門]]と兄弟分の縁を結び、これと相提携して大いに発展し広大なる費場所を有した。
-子分中有名な者は、
・[[林常十郎>浅野常十郎]](のち[[浅野亭一家]]初代) 
・[[岩田常八>五明常八]](のち[[五明一家]]初代)
・[[高御堂小太郎]]
・[[犬山大五郎]]
・[[柏森己代五郎]]
・[[村久野庄左衛門]]
・[[前野松左衛門]]
・[[船場由兵衛]]
の八名にして''八天下''と称した。
-その他[[池田一家]]祖[[上田屋五右衛門]]は[[信濃屋喜兵衛]]の舎弟であった。
-安政元年頃、桑名の[[黒田屋勇蔵]]と出入りあり。北伊勢の大親分黒田屋の縄張りに信濃屋一家が乗り込み賭場を開帳。イカサマ等のいざこざから[[信濃屋喜兵衛]]が黒田屋の者3人を斬り殺す。[[信濃屋喜兵衛]]は凶状持ちとなり[[関小左衛門]]の所に身を隠すが追われ、甲州・[[竹居安五郎]]宅に身を寄せる。
-[[信濃屋喜兵衛]]不在の間、瀬戸の[[水野吉五郎]]と内津妙見で縄張り争いをする。[[犬山大五郎]]先陣をきるが勝敗つかず、[[伊勢常>五明常吉]]、[[北熊実左衛門]]、直吉の吉五郎三人衆が対峙する。
-[[信濃屋喜兵衛]]不在の間、瀬戸の[[水野吉五郎]]と内津妙見で縄張り争いをする。[[犬山大五郎]]先陣をきるが勝敗つかず、[[伊勢常>五明常八]]、[[北熊実左衛門]]、直吉の吉五郎三人衆が対峙する。

-安政5年頃、再び[[関小左衛門]]の所にいたが、前野村に戻る。

-[[信濃屋喜兵衛]]が死亡すると、[[五明一家]]、[[浅野一家>浅野亭一家]]、[[高御堂小太郎]]の一派が独立した。
-[[信濃屋喜兵衛]]没後は跡目を継ぐものがなく、それぞれの子分が対立し勢力を持ったが、喜兵衛の位牌を守る者がないことを心配した兄弟分[[北熊実左衛門]]が[[中條増右衛門]]を送り込み跡目とした。
-[[中條増右衛門]]のあとは坂崎才一が跡目となったが、[[浅野一家]]、[[五明一家]]はそれを認めず対立した。
** 系譜 [#d6ed1066]
*** 説1(江南市史) [#u9bf378e]
初 代 - 信濃屋喜兵衛(医師・旅薬商人)
二代目 - [[信濃屋喜兵衛]](吉田久蔵)
三代目 - [[信濃屋久三郎]](吉田久三郎)
四代目 - [[信濃屋弥三郎]](吉田弥三郎)
*** 説2 [#fdf1e6f8]
初 代 - [[信濃屋喜兵衛]]こと吉田久蔵
二代目 - [[中條増右衛門]]
三代目 - 坂崎才次
四代目 - 水野兼松
*** 説3 [#b8d8d784]
初 代 - [[信濃屋喜兵衛]]こと吉田久蔵
二代目 - [[信濃屋久三郎]]こと吉田久三郎
三代目 - [[信濃屋弥三郎]]こと吉田弥三郎
四代目 - [[中條増右衛門]]
五代目 - 坂崎才次
六代目 - 坂崎 一
七代目 - 高木秀吉
八代目
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