#author("2021-07-15T14:50:53+09:00;2021-07-14T20:29:05+09:00","","")
* 片桐 俊 [#m80f1354]
&size(16){''片桐 俊''は日本のヤクザ。指定暴力団・[[住吉会]]・四代目[[中村会]]幹部。浅草発砲事件により五代目[[山口組]]系組幹部2名を射殺。無期懲役の判決を受け2021年現在も服役中。};
** 当時の要因 [#z9cbf25b]
-1990年(平成2年)2月、[[二率会]]との八王子抗争に完全勝利した五代目[[山口組]]は、[[稲川会]]と[[山口組]]で結ばれた「多摩川を超えない」という不文律協定を無視し、
都内で資金獲得を目指し進出していた。その中で[[倉本組]]から分裂した[[貴広会]]は東京へ進出して暴れ、一時は五代目[[山口組]]の有力組織である[[宅見組]]、三代目[[山健組]]、[[後藤組]]と並ぶほどの勢力を保ち、[[貴広会]]の中では、[[末吉隆秀]]率いる[[大末総業]]や[[川口京孝]]率いる[[川口総業]]などが東京都内の有力組織であった。
縄張りを重んじる関東のヤクザ組織は、都内で暴れる[[山口組]]系組織を嫌っており、さらには、東京都内で五代目[[山口組]]系組織同士が、縄張り内で騒動を起こし、縄張りを死守する組織ともトラブルを起こすようになっていた。

** 浅草発砲事件 [#z9cbf25b]
-2004年(平成16年)10月24日未明、浅草ビューホテル近くの[[住吉会]]系[[中村会]]事務所に、突然、五代目[[山口組]]系[[貴広会]]組員50人が押しかけて来た。
居合わせた[[片桐俊]]幹部(当時37歳)が、「こんな大勢で来られて、この状態では話しも出来やしない、場所を移そう」と、[[貴広会]]側の責任者に伝え移動させた。
-浅草ビューホテル一階の喫茶店に場所を変え、[[片桐俊]]幹部と[[加藤勉]]幹部(当時39歳)が改めて話し合いに入った。店内の重々しい雰囲気から、危険を察知した店員が浅草署に通報した。この時からすでに喫茶店内は、[[貴広会]]組員が待機しており威圧行為をしていた。
店側から通報を受けた浅草署は、私服警官を喫茶店に緊急配置させ厳戒態勢に入り、膠着状態が長く続いた為、署員に促され一度は両組織の話し合いの場を一度解散させた。
しかし解散させた十数分後、外で外部の者であろう人物と携帯電話でやりとりしていた片桐ら二名は、再び同じ場所で話し合いを始めたところ、喫茶店内に待機していた数十人の[[貴広会]]組員に一気に囲まれ、威圧行為からエスカレートし怒号や罵声を浴びせられ始めた。
全く話しにもならないと判断した[[片桐俊]]は、テーブル向かいに座る[[貴広会]]責任者へ拳銃を発砲し、五代目[[山口組]]系[[貴広会]]関東責任者・[[中川総業]]組長・[[中川謙一]]と、[[川口総業]]若頭・[[末吉民男]]が死亡、[[川口総業]]組長・[[川口京孝]]ら2人が重軽傷を負った。この事件により現行犯逮捕され、一切全ての責任を認め控訴審もせず、無期懲役の判決を受け長期服役となった。

** 抗争の終結 [#z9cbf25b]
-大勢で押しかけ威圧行為をし、その結果2名を射殺された五代目[[山口組]]系[[貴広会]]側には、慰謝料は「払われなかった」という。この事件により[[貴広会]]側の騒動も終息に向かったが、この事件とは別に、3年後の2007年2月に発生した「麻布抗争」で、三代目[[小林会]]会長秘書が五代目[[國粹会]]系組員に射殺される事件が発生。浅草発砲事件のこともあり、
やはり逆に同じように三代目[[小林会]]側に慰謝料は払われなかったという。
-浅草発砲事件による判決待ちで、身柄を東京拘置所に移された[[片桐俊]]幹部に対し、当時、[[関東二十日会]]加盟組織の代紋頭らの多くが面会に訪れたという。
----
-この項目は書きかけ項目です。
-役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とし、それらを行った者に関しては厳重な処罰の対象とし、悪質編集者リストへ一定期間掲載させて頂きますのでご注意下さい。
-編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧ください。
-編集を依頼される場合は下記の【このページの編集依頼】または【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。
----
【このページの編集依頼】
#comment

トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS