#author("2020-11-19T11:18:56+09:00","","") * 松山組 [#f934d068] &size(16){''三代目松山組''(まつやまぐみ)は大阪府東大阪市高井田本通3-1-19に本部を置いた暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体であった。前身は''小田秀組''。}; ** 略歴 [#cdb08f26] ***小田秀組 [#s7452fb3] -1958年、[[小田秀臣]]が''小田組''(後の''小田秀組'')を結成し、大阪の愚連隊[[明友会]]に参加した。 -1960年8月9日、明友会事件が勃発した。その後、[[小田秀臣]]は三代目[[山口組]]若頭・[[地道行雄]]の舎弟となった。 -1964年、[[小田秀臣]]は三代目[[山口組]]組長・[[田岡一雄]]の盃を受け、若衆となった。 -1984年6月5日、[[山口組]]直系組長会で、[[竹中正久]]は、[[山口組]]四代目組長就任の挨拶をした。[[小田秀臣]]を含む[[山本広]]を支持する直系組長は直系組長会に出席しなかった。 ***松山組 [#w2a7ac02] -[[一和会]]に参画予定であった小田秀組が解散すると、小田秀組若頭・松山政雄がその地盤を引き継ぎ''松山組''として四代目[[山口組]]直参となった。松山政雄は小田秀組に30年近く若衆として在籍した子飼いであった。他に小田秀組舎弟頭代行・山田輝雄、舎弟・盛政之助、本部長・森田昌夫が四代目山口組直参となった。 -1995年6月、松山政雄が病死。松山組舎弟頭・亀井惟茂が二代目を継承した。 -1999年3月、二代目松山組若頭・[[貝本健]]([[貝本会]]会長)が五代目[[山口組]]若中に昇格した。 -2008年、亀井惟茂が引退。二代目松山組若頭・亀井利臣が三代目を継承した。 -2012年9月、亀井利臣が六代目[[山口組]]を除籍、三代目松山組は解散した。 ** 系譜 [#b0893735] ***小田秀組 [#eaec9352] [[小田秀臣]] ***松山組 [#z9bcc12a] 初 代 - 松山政雄(松山政男) 二代目 - 亀井惟茂 三代目 - 亀井利臣 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とし、それらを行った者に関しては厳重な処罰の対象とし、悪質編集者リストへ一定期間掲載させて頂きますのでご注意下さい。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧ください。 -編集を依頼される場合は下記の【このページの編集依頼】または【[[メールで編集依頼:https://yakuza.wiki/form.php]]】から依頼して下さい。 ---- 【このページの編集依頼】 #comment