#author("2021-09-02T17:30:37+09:00;2021-09-01T16:05:36+09:00","","")
#author("2021-09-03T16:10:04+09:00;2021-09-01T16:05:36+09:00","","")
* 工藤會 [#d1e86589]
&size(16){''五代目工藤會''(工藤会 くどうかい)は[[福岡県北九州市小倉北区宇佐町1-8-8:https://maps.app.goo.gl/G5w8t6Cm4ARYW5Nj6]]に本部を置く[[特定危険指定暴力団]]。親睦団体[[四社会]]に加盟。};
#ref(工藤会.jpg,right,nowrap,工藤会)
** 主な施設 [#h38b880f]
総裁本家 - [[福岡県北九州市小倉北区熊谷4-19-15:https://maps.app.goo.gl/C6FURbLuWgttdSPX9]]
会長本家 - [[福岡県北九州市戸畑区菅原1-2-23:https://maps.app.goo.gl/FdDcwuubssL5LhEP8]]

*** 本部事務所の経緯 [#jfc9fd6d]
-1971年、北九州市小倉北区神岳1-1-12に鉄骨4階建ての本部事務所「工藤会館」を建設。
-2010年1月、北九州市小倉南区上貫の事務所を購入。門には「四代目工藤会長野会館」の看板が掲げられた。
新たな事務所の開設に対して地元住民らの暴追運動が強化されたところ、2010年3月に暴追運動のリーダー宅に銃弾が撃ち込まれる事件が発生した。
-2011年2月、工藤会が「長野会館」を北九州市の医療法人へ売却。
-2018年12月20日、北九州市が、本部事務所の固定資産税(総額約800万円)滞納を理由に、地方税法に基づき本部事務所を差し押さえた。
-2019年11月12日、工藤會側が公益財団法人・福岡県暴力追放運動推進センターを介し、福岡県内のNPO法人に約1億円で売却する契約を結び、撤去が正式に決定。
工藤會本部事務所「工藤会館」の解体工事に着手した。
-2020年2月18日、工藤會本部事務所の解体工事が完了。
福岡県公安委員会は、暴力団対策法に基づく同事務所への使用制限命令を解除。
事務所跡地は、公益財団法人・福岡県暴力追放運動推進センターに引き渡された後、福岡県北九州市のNPO法人が買い取り、福祉施設が整備された。
売却金は約1億円で、解体費などを差し引いた約4000万円は、2012年の元福岡県警警部銃撃事件と、2014年の歯科医師刺傷事件の被害者側への賠償金に充てられた。
-同年6月3日、福岡県公安委員会が、工藤會傘下「二代目[[矢坂組]]」(北九州市小倉北区三郎丸3)事務所を工藤會の新たな拠点として認定し官報で公示。
暴力団対策法に基づく使用制限命令を発出。
「二代目[[矢坂組]]」組長・[[山本和義]]は、事務所の売却の意向を示した。
-2021年7月2日、福岡県警が、二代目矢坂組事務所の土地と建物が民間のコンサルタント会社に売却されたことに伴い、所有権が移転したことを確認。
建物内も撤去が確認されたため、組員の出入りを禁止する「使用制限命令」を解除。
-2021年7月9日、工藤會幹部の会合が行われたことなど、新たな活動拠点として認められるとして、
「[[田中(十)組]]」(北九州市小倉北区宇佐町1-8-8)事務所を工藤會の「主たる事務所」として官報に公示。
-2021年8月6日、福岡県公安員会が暴力団対策法に基づき、「[[田中(十)組]]」事務所に「使用制限命令」を発出。
** 略歴 [#o2b91153]
*** 工藤組 [#w883e755]
-前身は戦前の小倉に結成された[[工藤玄治]]を組長とする博徒組織''工藤組''。
-[[工藤玄治]]は1910年生まれ、福岡県行橋市の出身。16歳頃から西日本各地の賭博場に出入りする博徒であった。恩義があった小倉の親分が引退すると、
自身で工藤組を名乗って渡世を開始した。
-子分は後に二代目となる[[草野高明]]ただ1人で、[[工藤玄治]]の姐と合わせて3人だけで四畳半一間からスタートしたとされ、終戦後の1946年頃に正式に工藤組を旗揚げした。
-工藤組は小倉競輪場の警備を任されることとなった。当時は公営ギャンブルが再開して盛り上がって来た頃で、利用客が増えてトラブルも頻発していたため、
ヤクザに警備を担わせることもあった。小倉競輪場の警備を担ったことで、草野若頭の配下に若い衆が増え、工藤組勢力を増大する。
-1950年代には[[工藤玄治]]は草野若頭を引き連れ、後に[[稲川会]]総裁となる[[稲川聖城]]が神奈川県で開いた大規模な賭場に顔を出すなど、他組織との交流も深める。
*** 三代目山口組との抗争 [#s4e3aaa1]
-1950年、若松市の[[梶原組>梶原組(地道組)]]組員が、工藤組・草野組組長・[[草野高明]]の弟を刺殺。
[[梶原組]]と草野組は和解することなく対立を続けた。
-1963年、三代目[[山口組]]若頭・[[地道行雄]]が北九州市内の[[安藤組]]と[[長畠組]]、そして[[梶原国弘]]が率いた[[梶原組>梶原組(地道組)]]を傘下に収める。
-同年9月10日、三代目[[山口組]]若頭補佐・[[菅谷政雄]]組長が、北九州市小倉区に芦原興行社を設立し、北九州に侵攻開始した。
-その後、[[梶原国弘]](後に射殺された元漁協組合長の縁戚)は[[地道行雄]]を通して、
北九州市での力道山のプロレス興行の実施を三代目[[山口組]]組長・[[田岡一雄]]に依頼、[[田岡一雄]]は即座に了承した。
-これを知った[[草野高明]]が、[[梶原国弘]]への対抗から、市内での北原謙二の公演開催を決定。
これを直接のきっかけとして、1963年、[[工藤組]]組員らが[[山口組]]系組員らを河原で撲殺したいわゆる紫川事件が発生。死因は水死であった。
-1979年頃から[[工藤会]]と[[草野一家]]の間で衝突が起こるようになった。[[草野一家]]の組員は200人以上在籍し、[[工藤組]]よりも勢力では完全に上回っていた。

*** 工藤組と草野一家による親子抗争 [#pdc2cb8e]
-[[草野高明]]は紫川事件の判決が出る前の1966年、拘置所で工藤組脱退と草野組解散を表明。これは工藤組に警察の取り締まりが及ばないように配慮したものだったが、
帰りを待っていた[[工藤玄治]]は、話を聞かされていなかったため裏切り行為だと思い、草野若頭を破門した。
-1970年、工藤組は''工藤会''に改称した。
-草野元若頭は長期服役を経て、1977年05月に出所。出所の際は無断で脱退していたため工藤組からの出迎えはなく、
対立していたはずの三代目[[山口組]]が出迎え、[[田岡一雄]]組長が放免祝いを申し出た。
[[山口組]]への加入を持ちかけられたが断ったという。加入はしなかったが、[[山口組]]との距離は縮まり、親[[山口組]]となった。
-1978年10月頃、草野元若頭は小倉北区で''草野一家''を立ち上げ、独立組織として再出発した。立ち上げの際には工藤組長と会談していて、
工藤組長は工藤組の縄張りに進出しないことと、シノギは賭博のみ行うことを条件として、草野一家の発足を許可したという。
-1979年12月12月21日筑紫野市内にて、[[草野高明]]は三代目[[山口組]]二次団体・[[伊豆組]]組長・[[伊豆健児]]と五分の兄弟盃を交わし三代目[[山口組]]と関係を深めた。
[[工藤玄治]]会長をはじめ九州全域の親分衆が出席し、[[工藤会]]の最高幹部達が出席した中、「敵の[[山口組]]と縁を持つんに、なし祝わにゃいけんのや?」と言い、
若頭の[[田中新太郎]]のみ結縁式を欠席した。つまり、親分の[[工藤玄治]]が出席してる最中、[[田中新太郎]]のみが反発し親分の顔に泥を塗るばかりか非礼を欠いた訳である。
-1980年、愛人宅に居た[[田中組>田中組(工藤會)]]組長・[[田中新太郎]]が、草野一家・[[極政会>極政組]]によって殺害され、抗争は激化の一途を辿った。
-1981年(昭和56年)2月4日未明、[[草野一家]]系[[大東亜会]]会長・[[佐古野繁樹]]が北九州小倉の堺町にあるクラブ「美松」を出た前で、[[工藤会]]系[[矢坂組]]組長・[[矢坂 顕>矢坂顕]]が偶然にも鉢合せし口論に発展した。やがて佐古野が[[矢坂組]]組員に撃たれた。お互いたった2メートル程度の至近距離から佐古野は倒れながらも矢坂を撃った。二人とも全弾撃ち尽くし、佐古野も矢坂も出血多量でその場で絶命した。
-1981年(昭和56年)2月4日未明、[[草野一家]]若頭・[[大東亜会]]会長・[[佐古野繁樹]]が北九州小倉の堺町にあるクラブ「美松」を出た前で、[[工藤会]]理事長・[[矢坂組]]組長・[[矢坂 顕>矢坂顕]]が偶然にも鉢合せし口論に発展した。やがて佐古野が[[矢坂組]]組員に撃たれた。その瞬間お互いたった2メートル程度の至近距離で佐古野は倒れながらも矢坂を撃った。二人とも全弾撃ち尽くし、佐古野も矢坂も出血多量でその場で絶命した。
-1986年、[[野村悟]]が三代目[[田中組]]組長となる。

*** 和解と再統合 [#pdc2cb8e]
-両団体は激しい抗争を続けたものの、1981年、[[稲川会]]会長・[[稲川聖城]]の仲裁により和解した。
-1987年6月、工藤会と草野一家が再統合し名称を''工藤連合草野一家''と改めた。
[[工藤玄治]]が総裁に、[[草野高明]]が総長に就任した。
*** 工藤會 [#gb7ca60e]
-1990年12月、[[溝下秀男]]が工藤連合草野一家の二代目総長を継承した。[[工藤玄治]]は名誉総裁に、[[草野高明]]は総裁に就いた。
-1991年4月、[[草野高明]]が死去。
-1992年、暴力団対策法に基づく指定暴力団に指定された。
-1996年、[[工藤玄治]]が死去。
-1999年1月、二代目工藤連合草野一家から三代目''工藤會''に改称。初代を[[工藤玄治]]、二代目を[[草野高明]]と改めた。
-2000年、[[溝下秀男]]は三代目[[田中組>田中組(工藤會)]]組長・[[野村悟]]に、「これだけにした組織や。誰が見込みのない奴に譲れるかいな。俺が見込んだ男やないか」と四代目を[[野村悟]]に禅譲。
[[野村悟]]は「歳が同じですし、永遠に親分について行くつもりだったから、困ったな」と言いつつもこれを承諾し、四代目工藤會会長を継承。
-2003年8月、暴力団追放の旗振り役だった男性が経営するクラブに[[工藤會]]組員が手りゅう弾を投げ込み、12人が重軽傷を負う事件が起きた。
-2008年7月、[[溝下秀男]]が死去。
-2008年7月、[[溝下秀男]]の側近組長が相次いで銃撃を受け殺害され、[[篠崎一雄]]組長射殺事件・[[末松勝巳]]組長射殺事件・[[江藤允正]]元組長射殺事件が起きた。
実行犯は工藤會・四代目[[田中組>田中組(工藤會)]]が、いわゆる溝下派への粛清と今後への威嚇と警察は判断している。
-2011年2月、清水建設の社員が工藤會系組員に拳銃で撃たれて負傷した。
-2011年7月、工藤會の五代目を四代目[[田中組>田中組(工藤會)]]組長・[[田上文雄]]が継承し、[[野村悟]]は五代目工藤會の総裁に就任。
-2011年11月26日(土)午後9時頃、建設会社「博新建設」会長(当時72歳)が射殺された。後に工藤會系組長の[[瓜田太]](当時53歳)ら12人を逮捕した。
-2014年9月11日、総裁である[[野村悟]]が、北九州元漁協組合長射殺事件に関わっていた殺人容疑などで福岡県警に逮捕された。
-2014年9月13日、会長・[[田上文雄]]が殺人容疑で逮捕された。
-2015年8月13日、北九州市小倉北区でスナックなどが入居する2つのビルが連続で放火された事件で、放火は工藤會による組織的な犯行だった疑いが強まったとして、
理事長・[[菊地敬吾]]ら五代目[[田中組>田中組(工藤會)]]系組員11人が逮捕された。
-2016年2月、福岡県警にて全国初、足を洗った暴力団員のための社会復帰対策係を設置し現在まで100名以上が就労することに成功した。今後も見届ける方針と発表。
*** 市民襲撃4事件判決 [#pdc2cb8e]
-2021年8月24日、[[野村悟]]、[[田上文雄]]の両名が関わった市民襲撃4事件(下記参照)、
①1998年、北九州市の港湾関連工事などに強い影響力を持っていたとされる元漁協組合長の男性射殺。
②2012年、工藤會の捜査を担当していた元福岡県警警部の男性銃撃。
③2012年、[[野村悟]]被告が受けた陰茎増大や脱毛の美容整形外科手術に不満を持ち担当した女性看護師刺傷。
④2014年、元漁協組合長の孫の歯科医師男性刺傷。
以下、殺人や組織的殺人未遂の罪に問われた被告人判決公判で、福岡地裁は[[野村悟]]に死刑、[[田上文雄]]に無期懲役を言い渡した。
-携帯電話の通信傍受から最高幹部や組員の会話内容と、気が遠くなる程の莫大な量の防犯カメラの映像解析などで実行犯と主犯格を逮捕に繋がった。
-司法による[[指定暴力団]]トップへの死刑判決は国内史上初めてとなる。また、市民襲撃4事件を機会に脱退した元組員が、
元暴力団としてのリスクを背負いながらも、正業に励んでいる元組員を、警察や行政機関が確認している。福岡県警察本部は[[工藤會]]を脱退した組員に対し、社会復帰も手伝っており、いくら組織を離脱したといえ、元暴力団の社会復帰には様々なハードルがある。銀行口座の開設さえ、離脱から5年経過しなければ難しい。しかし県警が協力して、5年経過前に口座を開設することができた工藤會の元幹部もいる。
*** 節 目 [#pdc2cb8e]
-2021年8月26日、警察庁の松本光弘長官は定例会見で、「判決は一つの節目だと思うが、警察としては工藤會の壊滅にむけ諸対策を更に推進していく」と述べた。
また、現在抗争を続ける六代目[[山口組]]と[[神戸山口組]]の取り締まり対策を強化することも続けて述べている。
-改めて工藤會の歴史を振り返ると、他組織間での抗争は三代目[[山口組]]系のみ、後は身内同士の抗争、工藤會内部での派閥による粛清、一般市民への攻撃の歴史しかない。
** 系譜 [#v29db2f0]
初 代 - [[工藤玄治]]([[工藤組]]初代組長・[[工藤会]]初代会長)
二代目 - [[草野高明]]([[草野組]]初代組長・[[草野一家]]初代総長)
三代目 - [[溝下秀男]]([[溝下組]]初代組長・[[極政会>極政組]]初代会長)
四代目 - [[野村 悟>野村悟]](三代目[[田中組>田中組(工藤會)]]組長)
五代目 - [[田上文雄]](四代目[[田中組>田中組(工藤會)]]組長)
** 五代目工藤會組織図 [#udb1df06]
総 裁 - [[野村 悟>野村悟]] 2021年8月24日:福岡地裁で死刑判決(殺人罪・組織犯罪処罰法違反)
会 長 - [[田上文雄]]  2021年8月24日:福岡地裁で無期懲役判決(殺人罪・組織犯罪処罰法違反)
理事長 - [[菊池啓吾]](五代目[[田中組>田中組(工藤會)]]組長)2015年8月13日:拘置中・組織犯罪処罰法違反・放火容疑(組織的殺人未遂)
舎弟頭 - [[長谷川泰三]]([[長谷川組>長谷川組(工藤會)]]組長)
総本部長 - [[石田正雄]]([[石田組>石田組(工藤會)]]組長)
幹事長 - [[緒方哲徳]]([[緒方組>緒方(哲)組]]組長)
組織委員長兼渉外委員長 - [[篭縞武志]]([[篭縞組]]組長)
懲罰委員長 - [[木原 浩>木原浩]]([[木原組]]組長)
総務委員長 - [[山中政吉]]([[山中組]]組長)2021年2月16日:最高裁第3小法廷で懲役2年6月判決(所得税法違反罪)
事務局長 - [[田中十四春]]([[田中(十)組]]組長)
理事長補佐 - [[瓜田 太>瓜田太]]([[瓜田組]]組長)2017年2月19日:(組織犯罪処罰法違反・殺人罪)拘置中
理事長補佐 - [[内蔵成喜八]](四代目[[極政組]]組長)
** 最高顧問・顧問 [#i6b61158]
最高顧問 - [[林 武男>林武男]]
顧 問 - [[添島弘之]]([[添島組]]組長)
** 常任相談役 [#i6b61158]
[[中島直人]]([[中島組>中島組(工藤會)]]組長)
[[玉井金芳]]([[玉井組]]組長)
[[緒方紀年]]([[緒方組>緒方(紀)組]]組長)
[[奥平政義]](三代目[[土谷組]]組長)
[[松本光将]]([[松本組>松本組(工藤會)]]組長)
[[林 政美>林政美]]([[林組>林(政)組]]組長)
[[山本和義]](二代目[[矢坂組]]組長)
[[今田雄二]]
** 会長舎弟 [#r6542cfc]
[[本田三秀]]([[本田組>本田組(工藤會)]]組長)2020年9月17日:福岡地裁で懲役6年判決(傷害罪)
[[木村 博>木村博]](二代目[[津川組]]組長) 2017年7月10日:福岡高裁で無期懲役判決(殺人罪)
** 総裁秘書 [#td5dd942]
[[木村政勝]]([[木政組>木政組(工藤會)]]組長)
** 総裁付 [#g08f743e]
[[白石 孝>白石孝]]([[白石組>白石組(工藤會)]]組長)
[[大原康昭]]([[大原組>大原組(工藤會)]]組長 )
[[久保 恵>久保恵]]([[久保組>久保組(工藤會)]]組長 )
[[丸本竜治]]([[丸本組]]組長)
[[船田茂樹]](二代目[[木下組>木下組(工藤會)]]組長)
** 直若 [#o60d5abb]
[[山本峰貢]]([[山本組>山本組(工藤會)]]組長)
[[山下義徳]]([[山下組>山下組(工藤會)]]組長)
[[林 孝章>林孝章]](五代目[[林組>林組(工藤會)]]組長)
[[反田信政]]([[反田組]]組長)
[[吉原聖吉]]([[吉原組]]組長)
[[井塚則夫]]([[井塚組]]組長)
[[池田一男]]([[池田組>池田組(工藤會)]]組長)
[[高野基司]]([[高野組>高野組(工藤會)]]組長)2007年3月9日:福岡地裁小倉支部で懲役20年判決 (非現住建造物等放火未遂罪)
[[中村数年]]([[中村組>中村組(工藤會)]]組長)2006年5月12日:福岡地裁小倉支部で無期懲役判決(殺人罪)
[[森 隆志>森隆志]](二代目[[村上組>村上組(工藤會)]]組長)
[[三明和夫]]([[三明組]]組長)
[[大原 弘>大原弘]](四代目[[田口組>田口組(工藤會)]]組長)
[[武本友裕]]([[武本組]]組長)
[[新屋 実>新屋実]]([[新屋組]]組長)
[[川谷隆雄]]([[川谷組]]組長)
[[福山幸一]]([[福山組]]組長)
[[古本健二]]([[古本組]]組長)
[[大場雅己]]([[大場組>大場組(工藤會)]]組長)
[[小川幸司]]([[小川組>小川組(工藤會)]]組長)
[[下川直也]]([[下川組>下川組(工藤會)]]組長)
[[影浦壱治]]([[影浦組]]組長)
[[馬場資房]]([[馬場組>馬場組(工藤會)]]組長)
[[玉田圭司]]([[玉田組]]組長)
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