#author("2020-05-12T16:02:38+09:00","","") * 光京家一家 [#h6da90e4] &size(16){''光京家一家''(こうきょうやいっか)は栃木県佐野市に本部を置く暴力団で、指定暴力団・[[住吉会]]の二次団体。[[親和会>親和会(住吉会)]]加盟。}; #ref(住吉会/住吉会.jpg,right,nowrap,画像) ** 略歴 [#c0ef6cd6] -初代・大町利市 --大町利市は高知から西日本を渡り歩き、横浜、東京と流れて栃木に入り、足利、桐生そして太田に落ち着いた。若い頃は賭場荒らしもしていた豪傑な人物でもあった。 -光具家一家の跡目を襲名。 --「光具家一家」は江戸時代に大前田英五郎とも親交があった香具師である博徒の光古家弥吉を初代とし、山宮国吉、石田竹次郎と継承されてきた歴史のある一家。 大町利市は、この伝統のある「光具家一家」の四代目を襲名。 戦後は足利競馬場の警備を任されたり、市議会議員まで務めた。 -二代目・遠藤幸雄 --遠藤幸雄は1930年に佐野市の糸問屋に生まれ、若い頃は弁護士を目指して旧制中学から明治大学法学部へ進学したが、事件を起こして宇都宮刑務所で5年刑期を務めた。 --出所後、大町利市に渡世入りを誘われるが断り、愚連隊時分から兄貴分と慕っていた「東毛の鬼」鴇崎(ときざき)文造の元へと行く。 大町利市は、自分の舎弟でもあった鴇崎文造を、江戸時代に大前田英五郎の舎弟分であり十手持ちでもあった京屋銀造を祖とし、岡田喜久治、堀江寅松と継承されて来たが衰退していた「京屋一家」の四代目に据えた。 これによって、遠藤幸雄は本格的な渡世入りとなり「京屋一家」の若い衆となり代貸となった。 --鴇崎文造が「京屋一家」四代目の襲名から2年後に突然の引退。 --1957年、遠藤幸雄が「京屋一家」五代目を襲名。 -光具家一家と京屋一家の合併 --1972年、大町利市は遠藤幸雄に「光具家一家」と「京屋一家」の合併を提案、これにより佐野市に本拠を置く「''光京一家''」が誕生、初代は大町利市が就任した。 --1984年、大町利市が亡くなると、遠藤幸雄が二代目を襲名、また[[親和会>親和会(住吉会)]]の常任顧問に就任した。 -三代目・野澤文男 --野澤文男が三代目を継承。 ** 系譜 [#zaa60886] 初 代 - [[大町利市]] 二代目 - [[遠藤幸雄]] 三代目 - [[野澤文男]] ** 組織図 [#cd50422c] 総 長 - 相談役 - [[柴田光男]](田沼・葛生貸元) 代 行 - [[大塚 尚>大塚尚]]([[親和会>親和会(住吉会)]]参与) 本部長 - [[柳田政弘]](足利市中央地区貸元) ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とし、それらを行った者に関しては厳重な処罰の対象とし、悪質編集者リストへ一定期間掲載させて頂きますのでご注意下さい。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧ください。 -編集を依頼される場合は下記の【このページの編集依頼】または【[[メールで編集依頼:https://yakuza.wiki/form.php]]】から依頼して下さい。 ---- 【このページの編集依頼】 #comment