織田譲二
織田譲二(おだ じょうじ、本名・伊藤豊彦 1927年8月10日 -1986年8月)は日本のヤクザ。三代目山口組・織田組組長。
略歴
- 1985年1月13日、四代目山口組組長・竹中正久が殺害されるより前、竹中組相談役・竹中正が、神戸市でプロレスラーのヒロ佐々木と会い、マイケル・ジャクソンの日本公演を依頼した。
- 同年1月26日、竹中正久は若頭・中山勝正と山口組・南組組長・南力とともに「GSハイム第二江坂」に着いたところを、、待ち伏せていた一和会・二代目山広組系組員に銃撃され意識不明のまま翌27日に死亡した。
南力はその場で即死、中山勝正は救急車で病院に搬送されたものの、翌27日1時7分に死亡。
竹中正久は銃弾3発を受け、大阪警察病院で9時間にも渡る手術を受けたものの、翌27日23時25分に死亡した。
- 同年5月15日、ワイキキのアラモアナ・ホテルで、ヒロ佐々木から竹中正に、アメリカ陸軍の拳銃や機関銃の購入を持ちかけられる。
一和会への報復作戦のさなかで武器が必要だったこともあり、竹中正としては是非とも乗りたい話ではあったが、警察や一和会の目もあることから躊躇した。
- 同年8月末、ヒロ佐々木は自らの属する、マフィア組織の「結成25周年記念パーティー」の招待状を、山口組幹部に送付。
竹中正と織田組組長・織田譲二が記念パーティーに出席し、そこでヒロ佐々木から、ロケット砲や機関銃の購入を再度持ちかけられ、2人はこの話を承諾した。
- 同年9月3日、竹中正と織田譲二、香港の元飲食店店主・梶田聖の3人で取引に赴くが、そこで「アメリカ連邦麻薬取締局」により逮捕された。
竹中正久四代目の報復として「ロケット砲を操作できる男を探してくれ」と頼み、報酬として5万ドルの支払いを申し出たなど、ロケット砲など密輸未遂、麻薬不正取引き、殺人教唆など19件の組織犯罪防止法、麻薬、銃器取締法の各違反、殺人謀議罪の疑いで逮捕され、オアフ刑務所に拘置された。
- 1986年4月26日、一連の取引の模様は全て隠しカメラで収録されており動かぬ証拠となっていたが、ヒロ佐々木はハワイで評判が悪かったこと、日本から山口組顧問弁護士が頻繁にハワイにかけつけたこと、陪審員を買収したことから、竹中正と織田譲二は無罪判決を受け釈放、帰国した。
- 1986年8月、織田譲二が病死。
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